渡辺良治は「階段王」と呼ばれ、国内外の大会で数々の勝利を収めてきました。スカイランニングから階段競技へと舞台を移し、世界選手権優勝や世界ランキング1位など輝かしい実績を残しています。
さらにギネス世界記録保持者としても知られ、テレビ出演を通じて競技の魅力を広めてきました。家族や企業の支えを受けながら挑戦を続ける姿は、多くの人に勇気を与えています。これからの挑戦に期待が高まります。
【この記事のポイント】
- スカイランニングから階段競技へ転身した経緯
- 国内外の大会で優勝を重ねた実績
- ギネス世界記録保持者としての挑戦内容
- 家族や企業の支えと今後の目標
渡辺良治は何者?プロフィールと経歴
東京都大田区出身・1984年生まれの背景

渡辺良治は1984年2月に東京都大田区で生まれました。幼少期から体を動かすことが好きで、地域のスポーツ活動に積極的に参加していました。小学生の頃は野球に打ち込み、中学・高校では卓球に挑戦しましたが、全国レベルで活躍するまでには至らず、結果として大きな成果を残すことはできませんでした。それでも運動を続ける中で培った体力や粘り強さは、後の競技人生に大きな影響を与えています。
大学進学後は駒沢大学に在籍し、卒業後には「若いうちにしかできないことを思い切りやってみたい」という思いからプロボクサーを目指しました。約4年間挑戦を続けましたが、プロテストに合格することはできず、夢半ばで挫折を経験しました。社会人となってからは体型の変化をきっかけにランニングを始め、次第に山岳を走るスカイランニングの世界へと進みました。ここで「登る力」に可能性を見出し、日本代表入りを果たしましたが、世界大会では結果を残せず再び壁に直面しました。
その後、都市型の競技であるステアクライミングに出会い、2016年に大阪のあべのハルカスで行われた大会に初出場し、いきなり3位入賞を果たしました。これまでの挫折を糧にして再び「スポーツで世界一になる」という夢を追いかける決意を固め、階段競技に本格的に取り組むようになりました。東京都大田区で育まれた基礎体力と挑戦心が、世界の舞台で活躍する現在の渡辺良治を形作る原点となっています。
学生時代の野球・卓球経験と挫折
渡辺良治は小学生の頃に野球を始め、地域のチームで練習を重ねていました。仲間と共に汗を流しながら試合に挑み、基礎的な体力や協調性を身につけていきました。しかし、全国大会に進むような突出した成績を残すことはできず、競技者としての道は限られていました。
中学・高校では卓球に打ち込みました。俊敏な動きや集中力を必要とする競技に魅力を感じ、日々練習を続けましたが、こちらも大きな成果を残すことはできませんでした。周囲には全国レベルで活躍する選手も多く、自分との実力差を痛感する場面が増えていきました。結果として、努力を続けても目標に届かない現実を突きつけられ、挫折を経験することになりました。
この時期の経験は、渡辺良治にとって「挑戦しても必ず成功するわけではない」という現実を学ぶ機会となりました。野球や卓球で積み重ねた練習の日々は、後に別の競技へ挑戦する際の基盤となり、失敗を恐れず挑み続ける姿勢を育てるきっかけとなりました。スポーツを通じて培った粘り強さや諦めない心は、後のステアクライミング競技で世界トップに立つまでの道のりを支える重要な要素となっています。
ボクシング挑戦からランニングへの転機
渡辺良治は大学卒業後、「若いうちにしかできないことを思い切りやってみたい」という強い思いからプロボクサーを目指しました。約4年間ジムに通い、厳しい練習を積み重ねましたが、プロテストに合格することはできず、夢半ばで挫折を経験しました。努力を続けても結果に結びつかない現実に直面し、自分の限界を痛感する時期となりました。
その後、20代後半を迎えた頃、体型の変化をきっかけに健康維持のためランニングを始めました。最初は体を整える目的でしたが、走ることを続けるうちに競技としての可能性を感じるようになりました。ランニングを通じて得られる達成感や心身の充実感は、ボクシングで味わえなかった新しい喜びとなり、次第に本格的に取り組むようになりました。
やがて山岳を駆け上がるスカイランニングの世界に挑戦し、日本代表として国際大会に出場するまでに成長しました。世界の舞台では結果を残せず再び挫折を味わいましたが、この経験が「登る力」に自分の強みがあることを気づかせるきっかけとなりました。ランニングからスカイランニング、そして階段競技へと挑戦の場を広げていった背景には、ボクシングでの失敗を糧にして新しい道を模索し続けた姿勢があります。
この転機は、渡辺良治が「階段王」として世界で活躍する原点となり、挑戦を続ける強い意志を育てる重要な過程となりました。
スカイランニングから階段競技への移行
渡辺良治はランニングを続ける中で、山岳を駆け上がるスカイランニングに挑戦しました。標高差の大きい山道を走る競技は体力と精神力を試す過酷なものであり、日本代表として国際大会に出場するまでに成長しました。しかし世界大会では思うような結果を残せず、再び壁に直面しました。そこで「登る力」に自分の強みがあることを見出し、次の挑戦の場を探すようになりました。
その転機となったのが都市部で行われる階段競技でした。超高層ビルやタワーの非常階段を駆け上がるステアクライミングは、短時間で強度の高い運動を求められる競技です。山岳で培った持久力と登坂力を活かせる舞台として、渡辺はこの競技に可能性を感じました。初めて挑戦したのは2016年、大阪のあべのハルカスで開催された大会でした。ここでいきなり3位入賞を果たし、競技者として大きな注目を集めました。
その後も国内外の大会に積極的に参加し、ニューヨークやロンドン、北京など世界各地で勝利を重ねました。2023年には世界選手権で優勝し、2024年には世界ランキング1位に輝きました。こうした実績から「階段王」と呼ばれるようになり、競技の第一人者として知られる存在となりました。
スカイランニングでの経験は、階段競技に挑む上で大きな基盤となりました。自然の山岳から都市の高層ビルへと舞台を移したことで、渡辺は自分の強みを最大限に発揮できる場所を見つけたのです。挑戦を続ける姿勢と環境の変化に柔軟に対応する力が、世界トップに立つまでの道のりを支えました。
2016年あべのハルカスでの初入賞

渡辺良治が階段競技に初めて挑戦したのは、2016年12月に大阪のあべのハルカスで開催された「HARUKAS SKYRUN」でした。日本一の高さを誇る超高層ビルの非常階段を駆け上がるこの大会は、世界シリーズ戦「バーティカル・ワールド・サーキット」のエキシビジョンレースとして行われ、国内外から多くのトップ選手が集まりました。
競技は地上から屋上まで約1,670段の階段を一気に駆け上がる過酷な内容で、標高差は約300メートルに達します。世界王者を含む強豪選手が参戦する中で、渡辺良治は初参加ながら男子部門で3位に入賞しました。この結果は、彼が持つ「登る力」が世界レベルでも通用することを証明するものとなり、競技者として大きな注目を集めるきっかけとなりました。
それまでスカイランニングで結果を残せず苦しんでいた渡辺にとって、この入賞は新しい可能性を示す出来事でした。山岳競技で培った持久力と精神力を都市型の階段競技に活かすことで、自分の強みを最大限に発揮できる舞台を見つけたのです。この経験を機に「階段王」としての道を歩み始め、以降は国内外の大会で次々と結果を残していくことになります。
2016年のあべのハルカスでの入賞は、渡辺良治が世界の舞台へと羽ばたく第一歩であり、彼の競技人生を大きく変える転機となりました。
横森製作所所属の実業団選手として活動
渡辺良治は2023年から横森製作所の実業団選手として活動しています。横森製作所は階段の設計・製造を専門とする企業であり、「日本一の階段屋」とも呼ばれる存在です。階段を舞台に世界で戦う渡辺と、階段を作る企業が結びついたことで、競技と仕事の両面から支え合う関係が生まれました。
それまで渡辺は福祉施設で働きながら競技を続けていましたが、夜勤や不規則な勤務が多く、練習時間の確保や疲労回復に苦労していました。横森製作所に所属してからは勤務形態が安定し、練習環境も整えられたことで競技に集中できるようになりました。日勤中心の生活に変わり、在宅勤務を取り入れることでトレーニング時間を増やすことができ、体調管理もしやすくなったとされています。
また、企業の全面的な支援を受けることで、国内外の大会への遠征も積極的に行えるようになりました。ニューヨークやロンドン、上海など世界各地で開催される大会に出場し、世界ランキング上位を維持するための活動を続けています。横森製作所の社員として働きながら競技に挑む姿は、社内外からも応援を受け、渡辺自身のモチベーションを高める要因となっています。
横森製作所は建築物に欠かせない階段を作る会社であり、その理念と渡辺の挑戦は「階段を通じて世界に挑む」という共通点を持っています。企業と選手が一体となることで、渡辺は「世界の階段王」を目指す活動をさらに加速させています。
家族との生活と支え
渡辺良治は競技活動を続ける中で、家族の存在を大きな支えとしています。日々の厳しいトレーニングや海外遠征は体力的にも精神的にも負担が大きく、家族の理解と協力がなければ継続することは難しい状況です。家庭では互いに支え合いながら生活を送り、挑戦を続けるための安定した環境を築いています。
渡辺は既婚者であり、一児の父でもあります。福祉施設での勤務を続けながら競技に取り組んでいた時期には、夜勤や不規則な生活が続きましたが、家族の励ましが心の支えとなり、競技を諦めずに続ける原動力となりました。日常生活の中で子どもの存在は大きなモチベーションとなり、父親としての責任感が競技への集中力を高める要因にもなっています。
また、海外遠征が多い競技生活では、家族との時間を十分に取ることが難しい場面もあります。それでも、応援の言葉や帰宅後の温かな時間が心を癒し、次の挑戦へと向かう力を与えています。家族は単なる生活の支えではなく、競技人生を共に歩むパートナーとして存在しており、渡辺が「階段王」として世界で戦う上で欠かせない存在です。
このように、渡辺良治の挑戦の背景には、家族の理解と支えが常にあり、競技活動を続ける上での大きな力となっています。家庭での安定があるからこそ、世界の舞台で限界に挑み続けることができているのです。
福祉職員としての一面
渡辺良治は競技活動の傍ら、福祉職員として働いています。障害を持つ人や高齢者の生活を支える仕事に従事し、日常的な介助や支援を行っています。体力を必要とする場面も多く、スポーツで培った持久力や集中力が仕事に活かされています。利用者との関わりを通じて人の役に立つ喜びを感じることができ、社会に貢献する実感を得ています。
福祉の現場は夜勤や不規則な勤務が多く、競技活動との両立は容易ではありませんでした。それでも渡辺は仕事を続けながら練習を積み重ね、国内外の大会に挑戦してきました。人を支える仕事と、自ら挑戦する競技活動を両立させる姿勢は、周囲からも高く評価されています。
福祉職員としての経験は、競技に取り組む上でも大きな意味を持っています。人を支える中で得られる忍耐力や精神的な強さは、過酷な階段競技に挑む際の支えとなっています。社会に貢献する仕事と世界の舞台で挑戦する競技活動、その両方を続けることで、渡辺は「階段王」としての活動に人間的な深みを加えています。
渡辺良治は何者?階段王としての戦績と活動
2024年世界ランキング1位の快挙

渡辺良治は2024年、ステアクライミング競技の年間ランキングで世界1位を獲得しました。世界タワーランニング協会が主催するツアーは、世界各地の超高層ビルを舞台に行われ、年間を通じて複数の大会で獲得したポイントによって順位が決まります。渡辺はこのシーズンで安定した成績を残し、最終的に男子部門の頂点に立ちました。
シーズン中にはポーランド・ワルシャワ、ロンドン、ニューヨークといった主要大会で優勝を果たし、さらに中国・上海で行われた最終戦でも上位に入りました。これらの結果によって年間合計ポイントが積み上がり、世界ランキング1位という快挙につながりました。世界のトップ選手が集う舞台で安定して勝ち続けることは容易ではなく、渡辺の持久力と精神力の強さが際立ったシーズンとなりました。
この成果は、2016年に初めて階段競技に挑戦してから積み重ねてきた努力の結実でもあります。スカイランニングでの経験を活かし、都市型の階段競技に適応したことで、世界の舞台で通用する力を身につけました。さらに、横森製作所の実業団選手として活動するようになってからは練習環境が整い、競技に集中できる体制が整ったことも大きな要因です。
世界ランキング1位の獲得は、日本人選手としても大きな意味を持ちます。これまで海外選手が中心だった競技で、日本勢がトップに立ったことは競技の認知度を高めるきっかけとなり、国内での注目度も一層高まりました。渡辺自身も「階段王」としての地位を確立し、今後さらに競技の普及や後進の育成に貢献していく存在となっています。
2024年の快挙は、渡辺良治が「世界の階段王」として名実ともに認められた瞬間であり、彼の挑戦の歴史において大きな節目となりました。
2023年世界選手権優勝とランキング2位
渡辺良治は2023年、ステアクライミングの世界選手権で見事優勝を果たしました。大会は世界各地からトップ選手が集まる大規模なもので、競技者にとっては年間最大の舞台です。渡辺は厳しい予選を勝ち抜き、決勝では持ち前の持久力と集中力を発揮して頂点に立ちました。この勝利は、日本人選手として国際大会で存在感を示す大きな成果となりました。
年間を通じて複数の大会に出場し、安定した成績を残した渡辺は、最終的に世界ランキング2位に位置しました。優勝経験を持ちながらも年間ランキングで1位に届かなかった背景には、シーズン全体でのポイント制度があります。世界選手権での優勝は大きな加点となりましたが、他大会での結果がわずかに及ばず、年間総合では2位に留まりました。
それでも、この年の活躍は渡辺にとって大きな転機となりました。世界選手権での優勝は競技人生のハイライトの一つであり、翌年のさらなる飛躍につながる自信を得る出来事でした。2023年のシーズンを通じて、渡辺は「階段王」としての地位を確立し、世界の舞台で戦う日本人選手として注目を集めました。
この結果は、翌年の2024年に世界ランキング1位を獲得する布石となり、渡辺の挑戦の歴史において重要な一章を刻んでいます。
東京タワー階段競走優勝
渡辺良治は2020年に開催された東京タワー階段競走で優勝を果たしました。この大会は東京の象徴である東京タワーを舞台に、約600段の階段を一気に駆け上がる競技です。参加者は体力と集中力を試される過酷なレースに挑み、ゴール地点は展望台という特別な舞台となっています。
この年の大会は国内外から多くの選手が集まり、過去最高レベルの戦いと評されました。渡辺はスタート直後から力強い走りを見せ、二段飛ばしでスピードを維持しながら階段を駆け上がりました。中盤以降もペースを落とさず、最後まで粘り強く走り抜け、1分59秒98という大会記録に迫るタイムで優勝しました。2分を切る走りは観客や競技関係者に強烈な印象を与え、国内での知名度を一気に高める結果となりました。
東京タワー階段競走での勝利は、渡辺が「階段王」として国内で確固たる地位を築くきっかけとなりました。これまで海外の大会で結果を残していた彼にとって、日本の象徴的な舞台で優勝したことは特別な意味を持ちました。競技者としての存在感を国内に広めると同時に、階段競技そのものへの注目度を高める役割も果たしました。
この大会での成果は、翌年以降の国際大会への挑戦にもつながり、世界ランキング上位を維持するための自信を強めるものとなりました。東京タワーでの勝利は、渡辺良治の競技人生において重要な節目であり、国内外で「階段王」と呼ばれる存在へと成長する過程を象徴する出来事でした。
ニューヨーク・ロンドン・北京大会での勝利
渡辺良治は2019年、ステアクライミングの世界シリーズ「Vertical World Circuit」において、ニューヨーク・ロンドン・北京の主要大会で優勝を果たしました。これらの大会はいずれも都市を象徴する超高層ビルを舞台に行われ、世界中からトップ選手が集まる国際的な舞台です。
ニューヨークでは「エンパイア・ステートビル・ランアップ」に挑戦し、数百段に及ぶ階段を駆け上がる過酷なレースで頂点に立ちました。ロンドンでは「ザ・スカイガーデン」などの高層施設を舞台にした大会で勝利を収め、都市型競技に適応する力を示しました。さらに北京では「チャイナ・ワールド・タワー」を舞台にした大会で優勝し、アジアの舞台でも結果を残しました。
これらの勝利は、渡辺が世界ランキング上位に食い込む大きな要因となりました。2019年シーズンは年間ランキング3位に位置し、世界のトップ選手と肩を並べる存在として認知されるようになりました。海外の大会で安定して結果を残すことは容易ではなく、渡辺の持久力と精神力が際立ったシーズンとなりました。
ニューヨーク・ロンドン・北京での勝利は、渡辺が「階段王」として国際的に名を広めるきっかけとなり、翌年以降のさらなる挑戦へとつながりました。国内だけでなく世界の舞台で結果を残したことで、日本人選手としての存在感を強く示すことができたのです。
ギネス世界記録「最速1マイル階段上り」

渡辺良治は2020年、東京スカイツリーを舞台に「最速1マイル階段垂直登り」のギネス世界記録を樹立しました。1マイルは約1,609メートルに相当し、これを階段で駆け上がるという過酷な挑戦です。東京スカイツリーの避難階段を複数回往復し、合計で9,097段を走破するという内容で、記録達成には圧倒的な持久力と集中力が求められました。
渡辺はこの挑戦で1時間6分58秒というタイムを記録し、従来の世界記録を大幅に更新しました。階段を駆け上がる競技は短時間で心肺機能を限界まで追い込み、脚力だけでなく精神的な強さも試されます。挑戦の最中には息が切れ、足が重くなる場面もあったとされますが、最後までペースを維持し続けたことで偉業を成し遂げました。
この記録は「ギネス世界記録の日」に合わせて行われ、世界的にも注目を集めました。新型コロナウイルスの影響で国際大会が中止となった年に、自ら新しい挑戦を選び、世界に向けて前向きなニュースを届けたことも大きな意味を持っています。競技者としての実力を証明すると同時に、階段競技そのものの存在を広く知らしめるきっかけとなりました。
渡辺にとってこの記録は単なる数字ではなく、これまで積み重ねてきた努力の結晶です。国内外の大会で培った経験を活かし、限界に挑み続ける姿勢が世界記録という形で結実しました。彼の挑戦は「階段王」としての地位を確立するだけでなく、後進の選手たちにとっても大きな励みとなっています。
テレビ出演『クレイジージャーニー』『激レアさん』
渡辺良治は、ステアクライミングという特殊な競技を広く伝えるためにテレビ番組へも出演しています。代表的なのが『クレイジージャーニー』と『激レアさんを連れてきた。』です。これらの番組では、彼が挑戦してきた数々の大会や、日常的なトレーニングの様子が紹介されました。
『クレイジージャーニー』では、世界の舞台で戦う姿や、過酷な階段競技の実態が取り上げられました。番組内では、階段を駆け上がる競技の厳しさや、渡辺が「世界の階段王」を目指して挑戦を続ける姿勢が強調され、視聴者に強い印象を残しました。芸人たちとのやり取りもあり、競技の過酷さと同時に人柄の温かさも伝わる内容となっていました。
一方、『激レアさんを連れてきた。』では、渡辺が階段競技に出会うまでの経緯や、数々の挫折を乗り越えて挑戦を続けてきた背景が紹介されました。プロボクサーを目指して失敗し、スカイランニングで結果を残せず、それでも諦めずに階段競技へと挑戦した人生の流れが描かれ、視聴者に「挑戦し続けることの大切さ」を伝える回となりました。
これらの番組出演を通じて、渡辺は競技者としての実力だけでなく、挑戦を続ける姿勢や人間的な魅力を広く知られるようになりました。テレビを通じて競技の存在を知った人も多く、階段競技の認知度を高める大きな役割を果たしています。
日常のトレーニング方法
渡辺良治は日常生活の中でも競技に直結するトレーニングを欠かさず行っています。自宅のマンションは16階建てであり、その非常階段を利用して繰り返し駆け上がる練習を続けています。階段を使ったトレーニングは競技そのものに直結しており、脚力や心肺機能を鍛えるだけでなく、精神的な持久力を養う効果もあります。時には200メートルを超える超高層ビルを使って練習することもあり、実際の大会に近い環境で体を慣らしています。
また、走るだけでなく自転車やローラーを使ったトレーニングも取り入れています。エアロバイクに似た「ローラー」と呼ばれる器具を用いて、一定時間高負荷で漕ぎ続けることで心肺機能を強化し、階段を駆け上がる際の爆発的な力を養っています。自転車を使った練習では、坂道を一気に登るような負荷をかけることで、階段競技に必要な瞬発力と持久力を同時に鍛えています。
さらに呼吸筋を鍛えるために「パワーブリーズ」という器具を使用し、肺活量や呼吸の持続力を高めています。階段競技は短時間で心拍数が急激に上がるため、呼吸を安定させる力が不可欠です。こうした器具を使ったトレーニングは、競技中に呼吸が乱れにくくなる効果をもたらしています。
日常のトレーニングは単なる体力維持ではなく、競技に必要な要素を細かく分けて鍛える工夫が凝らされています。階段を駆け上がる実践的な練習と、器具を使った補強トレーニングを組み合わせることで、渡辺は世界の舞台で戦えるだけの力を維持し続けています。
今後の挑戦と「世界の階段王」への道
渡辺良治は2024年に世界ランキング1位を獲得し、名実ともに「階段王」としての地位を確立しました。しかし彼の挑戦はここで終わることなく、さらなる記録更新と競技の普及を目指して活動を続けています。
今後は世界各地で開催されるステアクライミングの主要大会に積極的に参戦し、年間ランキングでの連覇を狙っています。特にニューヨークのエンパイア・ステートビルや上海の超高層ビルで行われる大会は、世界中のトップ選手が集まる舞台であり、渡辺にとっても重要な挑戦の場となります。2024年シーズンでは上海大会で優勝を果たしており、今後も国際舞台で安定した結果を残すことが期待されています。
また、競技者としての挑戦だけでなく、階段競技そのものの認知度を高める活動にも力を入れています。国内では名古屋テレビ塔やあべのハルカスなどで大会が開催されており、渡辺は競技の魅力を広めるためにメディア出演やイベント参加を積極的に行っています。こうした活動は、後進の選手たちが競技に挑戦するきっかけを作り、競技人口の拡大につながっています。
さらに、ギネス世界記録保持者として新たな挑戦にも意欲を示しています。過去には「最速1マイル階段上り」で世界記録を樹立しましたが、今後も記録更新や新たなカテゴリーへの挑戦を視野に入れています。限界を超える挑戦を続ける姿勢は、競技者としての強さだけでなく、挑戦し続ける人間像として多くの人に勇気を与えています。
渡辺良治の目標は「世界の階段王」として競技の頂点に立ち続けることです。記録更新と競技普及の両面で挑戦を続ける姿は、スポーツの枠を超えて多くの人々に影響を与え、階段競技の未来を切り拓く存在となっています。
渡辺良治は何者?挑戦の歩みと結論
- 1984年東京都大田区生まれで幼少期から運動に親しんだ
- 学生時代は野球や卓球に挑戦するも全国レベルには届かなかった
- 大学卒業後にプロボクサーを目指すも夢半ばで挫折した
- 健康維持のため始めたランニングが競技人生の転機となった
- 山岳を駆け上がるスカイランニングで日本代表に選ばれた
- 世界大会で結果を残せず新たな挑戦を模索するようになった
- 2016年あべのハルカス大会で初入賞し階段競技に可能性を見出した
- 東京タワー階段競走で優勝し国内で大きな注目を集めた
- ニューヨークやロンドン北京など国際大会で勝利を重ねた
- 東京スカイツリーで最速1マイル階段上りの世界記録を樹立した
- 2023年世界選手権で優勝し年間ランキング2位に位置した
- 2024年には世界ランキング1位となり世界の頂点に立った
- 横森製作所所属の実業団選手として企業の支援を受けて活動した
- 家族の支えを受けながら福祉職員として社会貢献も続けている
- 今後も世界大会で挑戦を続け渡辺良治は何者?という問いに応え続ける
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