リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得し、日本中に勇気を与えた登坂絵莉さんの強さの源泉は、富山県高岡市にある実家での日々に隠されています。元国体王者の父と切磋琢磨した兄の存在、そして温かく見守り続けた母の深い愛情が、世界を制する不屈の精神を育みました。現在は一児の母として奮闘しながら、次世代へスポーツの魅力を伝える活動を続けている彼女の原点には、家族との強い絆と故郷への深い愛着が息づいています。世界一に輝いたアスリートを支えた家庭環境の真実に迫ります。
【この記事のポイント】
- 登坂絵莉の実家がある富山県高岡市での幼少期と家族構成
- レスリングの国体王者だった父と兄の背中を追った競技の原点
- 自主性を尊重し精神的な支えとなった母の温かい教育方針
- 結婚して母となった現在の生活と地元への変わらぬ郷土愛
登坂絵莉の実家がある富山県高岡市での幼少期と家族の絆
富山県高岡市出身の金メダリストが育った自然豊かな環境

登坂絵莉さんが生まれ育った富山県高岡市は、壮大な立山連峰を望み、豊かな海と山に恵まれた自然豊かな街です。万葉集の編纂者として知られる大伴家持が国守として赴任した歴史があり、「万葉の里」としても親しまれています。こうした歴史の息吹と、四季折々に表情を変える美しい景観が広がる環境で、彼女の健やかな体と心が育まれました。
幼少期の登坂さんは、非常に活発で、近所の公園や豊かな自然の中を駆け回るのが大好きな子供でした。高岡市は伝統工芸である「高岡銅器」や「高岡漆器」でも有名な職人の街であり、ものづくりに対する真摯な姿勢が街全体に根付いています。こうした地域の人々の温かい眼差しや、一つのことに打ち込む職人気質な文化に触れながら育ったことは、勝負の世界で一途に勝利を追い求める彼女の精神的な基盤となりました。
また、富山県はスポーツへの関心も高く、地域全体で子供たちの成長を見守る土壌があります。地元の豊かな食材、特に新鮮な海の幸や美味しいお米をしっかり食べて体を作り、地域のコミュニティの中で多様な世代と交流した経験は、彼女の人間味あふれる魅力や、困難に直面しても折れないしなやかな感性を形作る大切な要素となりました。世界の大舞台で臆することなく戦い抜くための原動力は、まさにこの高岡の地で育まれたのです。
実家の父・修さんは国体優勝経験を持つグレコローマンの猛者
登坂絵莉さんの驚異的な強さと勝負強さの背景には、父・修さんの存在が色濃く反映されています。修さんはかつてレスリングのグレコローマンスタイルにおいて、国民体育大会で優勝を飾るほどの卓越した技術を持った競技者でした。マットの上で真剣に勝負に挑む父の背中を見て育った彼女にとって、父は最も身近で偉大なアスリートであり、幼い心に刻まれた最初の憧れでした。
家庭内においても、スポーツに対する情熱や礼節を重んじる環境があり、修さんの歩んできた競技人生そのものが、彼女にとっての生きた教科書となりました。修さんは自身の経験をもとに、技術的な指導だけでなく、勝負の世界で生き抜くための厳しさや、最後まで諦めない精神的な強さを身をもって示してきました。こうした父の厳格さと深い愛情が、金メダリストとしての土台を築き上げたといえます。
幼少期の彼女にとって、父は単なる親という存在を超え、いつか超えなければならない高い壁でもありました。練習が苦しいときや結果が出ないとき、一番の理解者でありながらも、安易な妥協を許さない父の眼差しが、彼女を奮い立たせる原動力となりました。父と娘という枠を超え、同じ競技の道を歩む同志のような固い絆があったからこそ、世界の大舞台でも自分を信じて戦い抜くことができたのです。父から受け継いだ情熱は、今も彼女の芯に力強く息づいています。
兄の背中を追って始めたレスリング!高岡ジュニア教室での原点
登坂絵莉さんがレスリングのマットに初めて足を踏み入れたのは、小学3年生の時でした。そのきっかけは、1歳年上の兄が地元にある「高岡ジュニアレスリング教室」に通っていたことです。当初は、練習に励む兄の姿をそばで見守りながら、マットの上で無邪気に遊び回る程度のごく自然な始まりでした。しかし、周囲で真剣にぶつかり合う子供たちの熱気に触れるうちに、彼女の中に眠っていた類まれな勝負師としての本能が目覚めていきます。
もともと非常に負けず嫌いな性格だった彼女にとって、兄や他の仲間たちと競い合う環境は、最高に刺激的な遊び場へと変わっていきました。最初は遊びの延長だった動きが、次第に勝利への執念へと変わり、気づけば本格的なトレーニングに没頭する日々が始まります。高岡ジュニアレスリング教室での日々は、単なる技術の習得に留まらず、厳しい練習を仲間と共に乗り越える喜びや、一瞬の隙も許さない集中力を養う貴重な時間となりました。
特に、一番身近なライバルである兄の存在は、彼女の成長を語る上で欠かせません。年上の兄に対して一歩も引かずに挑み、負ければ悔しさをバネに次の練習へ活かすというサイクルを繰り返す中で、世界を驚かせたあの「粘り強いレスリング」の骨格が形成されました。家族でありながら切磋琢磨し合える相手がいたからこそ、弱音を吐かずに自らを追い込むストイックさが身についたのです。幼い日に兄の背中を追いかけて飛び込んだあの教室こそが、数々の栄光を掴み取ることになる金メダリストの真の原点となりました。
母の支えと家庭の雰囲気!やりたいことを応援する教育方針

登坂絵莉さんの競技生活を語る上で、母・安代さんの存在は欠かすことのできない精神的な支柱です。常に厳しい勝負の世界で戦い続ける父や兄とは対照的に、母は家庭を安らぎの場として守り続けました。練習や試合で心身ともに疲れ果てて帰宅した際、温かい食事と変わらない笑顔で迎え入れてくれる母の存在は、彼女にとって何物にも代えがたい救いとなりました。
特に食事面での献身的なサポートは、アスリートとしての体作りを根底から支えました。栄養バランスを考え抜いた手料理はもちろん、娘の体調や好みに合わせた細やかな配慮が、過酷な減量や激しい練習を乗り越えるための活力源となりました。また、精神的に追い詰められたときや結果が出ずに悩んでいるときも、母は決して無理を強いることなく、ただ静かに寄り添い、彼女の言葉に耳を傾けました。こうした母の深い理解と包容力があったからこそ、彼女は過度なプレッシャーに押し潰されることなく、のびのびとマットに上がり続けることができたのです。
実家の教育方針は、一貫して「子供の自主性を尊重する」というものでした。親が無理にやらせるのではなく、子供自身が選んだ道を全力で応援し、温かく見守る。この「信じて待つ」という姿勢が、彼女の中に強い自己肯定感を育みました。自分の意志で決めたことだからこそ責任を持って取り組むという自律心が養われ、それが世界の大舞台での勝負強さへと直結しました。愛情に溢れた家庭環境は、金メダリストとしての技術以上に、折れない心としなやかな精神を磨き上げる大切な場所でした。
高岡市立南星中学校時代に芽生えた「毎日練習」への強い執念
地元である高岡市立南星中学校へ進学した時期、登坂絵莉さんのレスリングに対する情熱は、周囲を驚かせるほどに加速していきました。成長期という多感な時期にありながら、彼女の頭の中は常に「どうすればもっと強くなれるか」という一点に集中していました。放課後の部活動はもちろん、それ以外の時間もすべてを練習に注ぎ込むような、ストイックな生活スタイルがこの頃に確立されたのです。
彼女が自らに課したのは、「毎日欠かさずマットに上がる」という極めてシンプルかつ過酷なルールでした。体調が優れない日や、気分が乗らない日であっても、自分との約束を破ることはありませんでした。この「継続する力」こそが彼女の真骨頂であり、一度決めたら最後までやり遂げるという不屈の執念が、この中学校時代の三年間で確固たるものとなりました。友人と遊ぶ時間を惜しんでまで練習に打ち込んだ日々は、単なる技術の向上以上に、勝負の世界で生き抜くための強靭な精神力を養うことにつながりました。
この時期に積み上げられた圧倒的な練習量は、後に世界を震撼させることになる代名詞「高速タックル」の精度を飛躍的に高める土台となりました。何度も、何千回も繰り返された基本動作の反復が、無意識のうちに体が反応するまでの研ぎ澄まされた動きへと昇華されたのです。中学時代の地道な努力が血肉となり、世界の大舞台で土壇場から逆転劇を演じるための爆発的なスタミナと、精密な技術を生み出しました。故郷の学び舎で過ごした時間は、金メダリストとしての揺るぎない自信を築くための、最も濃密な助走期間だったと言えます。
地元・富山県民栄誉賞も受賞!郷土愛に溢れる現在の活動内容
2016年のリオデジャネイロ五輪で見事に金メダルを獲得した際、登坂絵莉さんはその輝かしい功績を称えられ、地元から「富山県民栄誉賞」を授与されました。この受賞は、彼女個人への祝福であると同時に、粘り強く戦い抜く姿に勇気をもらった多くの県民にとっても、大きな誇りとなりました。高岡市で育った一人の少女が、世界の頂点に立つまでの軌跡を温かく見守ってきた地元の人々にとって、彼女はまさに郷土の英雄といえる存在です。
現役を引退した現在も、登坂さんの心には変わらぬ深い郷土愛が息づいています。彼女の活動の場は多岐にわたりますが、特に地元・富山県でのスポーツ振興には非常に熱心に取り組んでいます。近年でも、高岡市で開催された「SOMPOボールゲームフェスタ」にゲスト出演したり、小矢部市の商業施設でレスリング体験イベントを主催したりと、自ら進んで地域に足を運び、直接子供たちと触れ合う機会を大切にしています。トークショーなどで語られるエピソードには、常に地元への感謝の気持ちが込められており、その飾らない人柄が多くのファンの心を掴んでいます。
また、スポーツプロモーターとして、県民が日常的に運動に親しむきっかけ作りをサポートするなど、富山県のスポーツ文化を底上げするための役割も担っています。自らの経験を伝えることで、地元から次の世代を担うアスリートが生まれることを誰よりも願っており、その情熱的な姿は地域社会において高い信頼を得ています。現在は一児の母としての視点も加わり、親子で楽しめるスポーツイベントにも力を入れるなど、より広い世代に健康と笑顔を届ける存在として、故郷の人々に親しまれ、尊敬を集め続けています。
登坂絵莉の実家から愛知の至学館へ!強さを磨いた進学の決意
中学卒業後に親元を離れ至学館高校へ進学した覚悟の背景

登坂絵莉さんは、さらなる高みを目指すために、中学卒業という大きな節目で富山の実家を離れる決意をしました。向かった先は、多くのオリンピックメダリストを輩出しているレスリングの名門、愛知県の至学館高校です。わずか15歳という若さで、慣れ親しんだ故郷や家族と離れ、未知の環境で寮生活を始めることは、彼女にとって人生最大の決断の一つでした。
この大胆な一歩を踏み出す背中を押したのは、心の奥底に抱いていた「金メダルを獲る」という揺るぎない目標でした。当時の至学館には、憧れの存在であり目標でもあった吉田沙保里さんをはじめ、世界トップレベルの選手たちが集結していました。地元の富山で練習を続ける選択肢もありましたが、彼女はあえて自分を厳しい環境に置き、世界一の練習環境で揉まれる道を選びました。この決断には、生半可な気持ちではなく、すべてをレスリングに捧げるという強い覚悟が込められていました。
寮生活では、身の回りのことをすべて自分で行う自立心が求められ、厳しい上下関係や過酷な練習メニューが待ち受けていました。ホームシックにかかる暇もないほど練習に明け暮れる日々でしたが、同じ志を持つ仲間たちと切磋琢磨することで、技術だけでなく精神面でも飛躍的な成長を遂げました。実家の温かなサポートを胸に、自ら選んだ茨の道を進み続けたこの時期の覚悟こそが、後に世界の頂点へと駆け上がるための確かな原動力となったのです。
父の知人である柔道の田知本姉妹の父とも繋がる意外な縁
登坂絵莉さんの驚異的な勝負強さの背景には、富山県が生んだトップアスリート同士の不思議な巡り合わせがありました。実は、彼女の父・修さんと、柔道女子で二大会連続金メダルに輝いた田知本遥さん、そしてその姉の愛さんの父・公雄さんは、かつて同じレスリング部で汗を流した旧知の仲でした。同じ時代に競技に打ち込み、切磋琢磨した父親同士の絆が、奇しくも数十年後、それぞれの娘たちが世界の頂点に立つという形で結実したのです。
このエピソードは、金メダリストを輩出した家庭同士の意外な接点として、地元でも大きな驚きと共感をもって受け止められました。修さんと公雄さんは、娘たちが幼い頃から家族ぐるみで親交があり、お互いの家を行き来することもありました。トップレベルの競技経験を持つ父親たちが身近にいたことで、彼女は幼少期から「世界で戦うこと」の厳しさや、アスリートとしての心構えを自然と肌で感じ取ることができました。
このような一流を知る環境が身近にあったことは、彼女の成長にとって計り知れないプラスの影響を与えました。父親たちが共有していた「勝負への情熱」や「礼節」といった共通の価値観は、娘たちの代にもしっかりと受け継がれ、精神的な支柱となりました。同じ故郷から世界へ挑む仲間が身近にいたことで、高い目標を掲げることは決して特別なことではなく、日々の努力の先にある必然として捉えることができたのです。こうした素晴らしい縁と環境に支えられ、彼女は揺るぎない自信を持って世界のマットへと踏み出していきました。
実家を離れて大学院まで修了した文武両道のストイックな姿勢
至学館大学へと進学した登坂絵莉さんは、レスリングの練習に明け暮れる日々の中でも、学問をおろそかにすることはありませんでした。彼女の驚異的な連勝記録を支えていたのは、天性の身体能力だけでなく、自身の競技を客観的に分析し、理論的に最適解を導き出す「知性」にありました。大学卒業後もその探究心は衰えず、同大学院へと進学してスポーツ科学の専門的な知見を深める道を選んだのです。
大学院での研究生活は、多忙を極めるトップアスリートにとって極めてハードなものでしたが、彼女は一切の妥協を許しませんでした。自らの動きを科学的な視点から見つめ直し、効率的なトレーニング方法や対戦相手の分析に役立てるなど、知的なアプローチを徹底しました。肉体的な強さに加え、理論に基づいた緻密な戦略を立てられるスマートさこそが、世界の大舞台で土壇場の逆転劇を生む「高速タックル」の精度をさらに研ぎ澄ませる武器となりました。
こうした文武両道を貫くストイックな姿勢は、指導者や周囲の学生たちからも高く評価されていました。練習場では誰よりも激しく自分を追い込み、机に向かえば真摯に学問と向き合う。実家を離れて独り立ちし、限られた時間の中で最大限の成果を出すために工夫を凝らした経験は、彼女の精神的な自立を促しました。知性と肉体を高い次元で融合させた彼女のスタイルは、単なる根性論ではない、現代のアスリートが目指すべき一つの完成形を示したといえます。
結婚して一児の母となった現在の家族と実家への帰省頻度

現役を退いた登坂絵莉さんは、現在、一児の母として新しい人生のステージを歩んでいます。かつてマットの上で世界の頂点を目指し、ストイックに自分を追い込んでいた日々から一転、現在は育児という正解のない挑戦に日々奮闘しています。アスリートとして培った忍耐強さや集中力は、子育てという多忙な日常の中でも彼女を支える大きな力となっており、SNSなどを通じて発信される等身大の母親としての姿は、多くの同世代から共感を集めています。
多忙な毎日を送る中でも、故郷である富山の実家の両親とは密に連絡を取り合っており、心の交流を欠かすことはありません。特に大型連休や長期の休みには、幼い子供を連れて富山へ帰省し、地元の豊かな自然の中でリフレッシュする時間を大切にしています。実家の両親にとっても、孫の成長を間近に感じられる帰省のひとときは何よりの楽しみであり、三世代が揃って過ごす時間は、彼女にとって明日への活力を蓄えるかけがえのない休息となっています。
家族を深く愛し、大切にするその姿勢は、まさに彼女自身が幼少期に富山の実家で受けた惜しみない愛情の裏返しといえます。自分が親から受け取った「信じて見守る」という教育方針や、温かな家庭の空気感を、今度は自分の子供へとそのまま受け継いでいこうとする意志が感じられます。金メダリストとしての輝かしい経歴を持ちながらも、一人の女性として、そして母として家族との絆を丁寧に紡ぎ続ける姿は、彼女の人間的な深みをより一層際立たせています。
総合格闘家の夫・倉本一真との生活でも活きる実家の教え
登坂絵莉さんの現在の生活を支えているのは、同じく格闘技の世界でしのぎを削る夫、倉本一真さんとの強い絆です。倉本さんはレスリングの全日本選手権で何度も頂点に立ち、現在は総合格闘家として第一線で活躍するトップアスリートです。互いに極限まで自分を追い込む厳しさを知っているからこそ、言葉を交わさずとも理解し合える独特の信頼関係が築かれています。ストイックな競技生活を共に歩むパートナーとして、これほど心強い存在はありません。
二人の結婚生活の根底には、登坂さんが富山の実家で父・修さんから教わった「礼儀」と「感謝の心」が深く息づいています。勝負の世界では技術以上に人間性が問われるという父の教えを胸に、彼女は夫の挑戦を心から尊重し、細やかな配慮を欠かしません。試合に向けた過酷な減量や激しいトレーニングに励む夫を、アスリートとしての視点と妻としての優しさの両面から支える姿は、まさに理想的な夫婦のあり方として多くの人の共感を呼んでいます。
どれほど輝かしい実績を積んでも決して慢心せず、周囲への感謝を忘れない姿勢は、実家の茶の間で育まれた彼女の美徳です。日常生活の中でも、互いを一人の競技者として敬意を持って接し、日々の小さな支え合いに「ありがとう」と言葉を添える。そんな当たり前のような積み重ねが、二人の仲睦まじい関係をより強固なものにしています。実家の教えという揺るぎない指針があるからこそ、環境が変わっても自分を見失うことなく、夫と共に一歩ずつ新しい家族の歴史を刻み続けています。
現在は一般社団法人を設立し子供たちへスポーツを伝える使命
登坂絵莉さんは現在、現役時代に培った貴重な経験を社会に還元するため、一般社団法人「スマイルコンパス」を設立し、代表理事として精力的に活動しています。この団体は、競技の勝敗だけに捉われるのではなく、スポーツが本来持っている「楽しさ」や「人との繋がり」を子供たちに伝えることを目的としています。金メダリストという輝かしい肩書きに甘んじることなく、次世代の笑顔のために新しい一歩を踏み出した彼女の姿は、多くの人々に感動を与えています。
活動の柱となっているのは、全国各地の子供たちの元へ直接足を運ぶ体験プログラムです。サッカー元日本女子代表の岩渕真奈さんやプロテニスプレイヤーの穂積絵莉さんといった、同世代のトップアスリートたちと共に、競技の垣根を越えて体を動かす喜びを伝えています。特に、自分たちが幼少期に「褒められて伸びた」という実体験を大切にしており、子供たちがのびのびと個性を発揮できる環境づくりに力を注いでいます。指導者や保護者に対しても、過度な勝利至上主義ではなく、子供の自主性を育むことの重要性を発信し続けています。
また、彼女は「児童発達支援士」の資格を取得するなど、より専門的な視点から子供たちの成長をサポートするための努力を惜しみません。レスリングという枠を飛び出し、スポーツを通じて人生を豊かにする「羅針盤(コンパス)」のような存在になりたいという強い願いが、その活動の源泉となっています。困難を乗り越え、世界の頂点を極めた彼女だからこそ伝えられる「挑戦し続けることの素晴らしさ」は、未来を担う子供たちの心に深く刻まれ、新しい夢の種を蒔き続けています。
登坂絵莉の実家が育んだ強さと家族への感謝を込めたまとめ
- 実家は富山県高岡市で自然豊かな環境に囲まれて育った
- 父はレスリングの国体王者で競技の厳しさを背中で示した
- 兄の通う高岡ジュニアレスリング教室がすべての原点だった
- 母は温かく見守る存在で家庭を安らぎの場として守り抜いた
- 自主性を尊重する実家の教育方針が自己肯定感を高めた
- 南星中学校時代は毎日欠かさずマットに上がる練習を貫いた
- 金メダル獲得時に富山県民栄誉賞を受賞し郷土の誇りとなった
- 高校進学時に実家を離れて愛知の至学館へ進む覚悟を決めた
- 柔道の田知本姉妹の父と自身の父はレスリング部時代の旧知
- 大学院まで進みスポーツ科学の視点で競技を深く分析した
- 現在は一児の母として育児に奮闘しながら新しい生活を送る
- 休暇には実家のある富山へ帰省して心身をリフレッシュする
- 夫の倉本一真さんとはアスリートとして尊敬し合う理想の仲
- 実家で学んだ礼儀や感謝の心を忘れずに日々の生活を営む
- 一般社団法人を設立し子供たちへスポーツの魅力を伝えている



コメント