国際医療の最前線で活動し続ける吉岡秀人は、ミャンマーをはじめとするアジアの地域で数多くの子どもたちの命を救ってきました。救急医療から始まったキャリアは、医療が届かない場所での経験を経て大きく広がり、ジャパンハート設立へとつながっています。
小児がん治療の体制づくりや国内支援プロジェクトなど、活動は国境を越えて多方面に展開されています。彼の歩みをたどることで、なぜ多くの人が吉岡秀人に注目するのかが見えてきます。
【この記事のポイント】
- 救急医療から国際医療へ向かった理由と転機
- ミャンマーでの単独医療活動と組織化への流れ
- ジャパンハート設立の理念と広がる支援内容
- 小児がん治療や国内支援プロジェクトの取り組み
吉岡秀人は何者?経歴と活動から見える人物像
吉岡秀人の生い立ちと大阪府吹田市での学生時代

大阪府吹田市で生まれ育った吉岡秀人は、幼い頃から人の役に立つ仕事に関心を寄せる子どもだったとされています。家庭環境の中で、困っている人に手を差し伸べる姿を身近に感じる機会が多く、その経験が医療への興味につながっています。身の回りの出来事を通して「人の命に関わる仕事をしたい」という思いが徐々に形になっていきました。
学生時代には、身近な人の病気やけがを目にすることがあり、医師という職業が持つ責任の重さと必要性を強く意識するようになります。学校生活の中で、理科や生物への興味が深まり、医療の道に進むための基礎となる学びを積み重ねています。吹田市での生活は、都市部でありながら地域のつながりが感じられる環境で、人との関わりを大切にする姿勢が育まれています。
こうした日常の積み重ねが、後に海外で医療支援を行うという大きな決断につながる価値観の土台になっています。幼少期から学生時代にかけて形成された「必要とされる場所で力を尽くしたい」という思いが、国際医療の現場に向かう原動力になっていると考えられます。
大分医科大学で医師を志した背景と進路
大分医科大学(現・大分大学医学部)では、基礎医学から臨床医学まで幅広い学びを積み重ね、小児医療への関心が徐々に強まっています。講義や実習を通して、子どもを診る医療の難しさと重要性を実感し、専門性を深めたいという思いが形になっていきます。
大学での学びは、国内の医療だけでなく、世界に目を向けるきっかけにもなっています。医療環境が整った日本と、十分な治療を受けられない地域との間にある大きな差を知り、医師として果たすべき役割について考える時間が増えています。医療が届かない場所で苦しむ人々の存在を知ることで、将来は国境を越えて医療に携わりたいという思いが強くなっています。
こうした大学時代の経験が、後に海外での医療支援に踏み出す原動力となり、医師としての進路を大きく方向づけています。専門分野として小児外科を選ぶ決断にもつながり、医療を必要とする子どもたちに寄り添う姿勢が育まれています。
救急病院勤務からミャンマー渡航を決意した理由
医師としてのキャリアをスタートさせた救急病院では、昼夜を問わず運び込まれる重症患者の治療に向き合う日々が続いています。命の瀬戸際にある患者を前に、迅速な判断と高度な医療技術が求められる環境で、多くの経験を積み重ねています。救急の現場は緊張感に満ちていますが、その一方で、医療が整った環境だからこそ救える命があることを実感する場面も多くあります。
こうした日々の中で、医療体制が整っていない地域では、同じような状況に置かれた患者が治療を受けられず命を落としている現実に意識が向くようになります。救急医療の現場で感じた「医療があるかないかで生死が分かれる」という事実は、医療が届かない地域への関心を強めるきっかけになっています。
医療資源が限られた国では、基本的な治療すら受けられない子どもたちが多く存在しています。その現状を知ることで、自分の技術を必要とする場所が国内だけではないことを強く意識するようになります。救急医療で培った経験を、より必要とされる場所で生かしたいという思いが芽生え、海外での医療活動を志す決意が固まっていきます。
その中でもミャンマーを選んだ背景には、医療体制の不足が深刻であり、特に小児医療の支援が求められていたことがあります。現地の子どもたちの命を救うために、自らの技術を直接届けたいという思いが強まり、ミャンマーへの渡航を決断しています。この決断は、その後の長い国際医療活動の出発点となっています。
ミャンマーでの単独医療活動とその後の帰国
ミャンマーでの医療活動は、ほぼすべてを一人で担うところから始まっています。現地には十分な医療設備が整っておらず、薬や器具が不足する状況が日常的に続いていました。手術に必要な道具が揃わないことも多く、限られた環境の中で最善の治療方法を模索しながら、目の前の患者に向き合う日々が続いています。
治療を求めて訪れる子どもたちは後を絶たず、重い病気やけがを抱えながらも治療の機会を待ち続ける姿がありました。医療が届かない地域で生きる子どもたちの現実を前に、できる限りの治療を届けたいという思いが強まり、困難な状況でも活動を続ける支えになっています。現地での経験は、医療の必要性を改めて深く実感する時間となっています。
その後、一度日本へ帰国し、国内の医療現場で再び経験を積む期間を過ごしています。帰国後の勤務では、より高度な医療技術を身につけることに力を注ぎ、海外での活動に生かせる知識と技術を磨いています。国内での研鑽は、再び海外で医療支援を行うための大切な準備となり、後の活動の基盤を形づくっています。
岡山病院・川崎医科大学で小児外科医としての研鑽

帰国後は岡山病院や川崎医科大学で小児外科医として勤務し、専門分野の技術を深める日々を過ごしています。小児外科は高度な判断力と繊細な技術が求められる分野であり、治療にあたる子どもたちの状態は一人ひとり異なります。こうした環境での臨床経験は、医師としての視野を広げる大きな機会になっています。
手術の技術だけでなく、術後管理や家族への説明など、幅広い対応が求められる現場で経験を積むことで、医療の質を高めるために必要な総合的な力が身についています。国内の医療現場で得た知識や技術は、設備が整わない地域で治療を行う際にも大きな支えとなるものです。
また、大学病院での勤務は、最新の医療知識に触れながら専門性を磨く貴重な時間となっています。多くの症例に向き合う中で、小児外科医としての判断力が鍛えられ、より複雑な手術にも対応できるようになっています。こうした研鑽の積み重ねが、再び海外で医療支援を行う際の大きな力となり、国際医療活動の基盤を形づくっています。
再びミャンマーへ戻り医療支援を再開した経緯
国内で小児外科医として経験を積んだ後、再びミャンマーへ戻る決断をしています。初めての渡航時に感じた「医療が届かない子どもたちの存在」は心に深く残り、より確かな技術を身につけたうえで再び現地に向かうことが必要だと考えるようになっています。国内での研鑽を経たことで、以前よりも高度な治療を提供できる自信が生まれ、再渡航への思いが強まっています。
ミャンマーに戻った後は、単発の医療活動ではなく、継続的に治療を提供できる体制づくりに力を注いでいます。現地の医療者と協力しながら、手術が必要な子どもたちに安定して医療を届けるための仕組みを整える取り組みが進められています。設備や人材が不足する環境の中でも、継続的な医療提供を実現するための工夫が重ねられています。
再渡航後の活動は、個人の努力だけでは限界があることを実感する時間にもなっています。そのため、より組織的に支援を行うための基盤づくりが始まり、後にジャパンハート設立へとつながる流れが生まれています。現地の子どもたちが必要な治療を受けられる環境を整えるため、医療体制の構築に向けた取り組みが本格化しています。
東日本大震災での医療支援と国内活動の広がり
東日本大震災が発生した際には、被災地に入り、医療が不足している地域で支援活動を行っています。避難生活が続く中で体調を崩す人や、持病の治療が途切れてしまう人が多く、医療者の存在が強く求められる状況でした。限られた資源の中で必要な治療を届けるため、現地の状況に合わせた柔軟な対応が続けられています。
この経験は、海外だけでなく国内にも医療が届きにくい場所が存在することを改めて認識するきっかけになっています。災害時には医療体制が一時的に機能しなくなる地域が生まれ、支援が必要な人が急増します。被災地での活動を通じて、国内でも医療支援が求められる場面が多いことが明確になり、活動の視野が広がっています。
震災後の支援は、国境を越えた医療活動と同じく、「必要な場所に医療を届ける」という姿勢をより強くするものになっています。国内外を問わず、困難な状況に置かれた人々に寄り添う姿勢が活動全体に反映され、後の国内プロジェクトの展開にもつながっています。災害時の支援経験は、医療者としての使命感をさらに深める重要な時間となっています。
菊池寛賞・正力松太郎賞など受賞歴と評価
長年にわたり国際医療の現場で活動を続けてきた実績は、国内外で高く評価されています。その象徴ともいえるのが、菊池寛賞や正力松太郎賞といった権威ある賞の受賞です。これらの賞は、文化・社会への貢献度が大きい人物に贈られるものであり、医療支援という分野が社会的に注目されるきっかけにもなっています。
菊池寛賞の受賞は、医療が届かない地域での活動が文化的・社会的価値を持つものとして認められたことを示しています。また、正力松太郎賞の受賞は、国際医療支援の取り組みが公共性の高い活動として評価された結果です。どちらの賞も、長年の継続的な努力と実績が社会に広く伝わり、多くの人が国際医療の現状に目を向けるきっかけになっています。
これらの受賞を通じて、医療支援の必要性がより多くの人に知られるようになり、活動への理解や協力が広がっています。個人の努力だけでなく、社会全体で支えるべき課題として認識されるようになり、国際医療支援の重要性が一層明確になっています。
吉岡秀人は何者?ジャパンハート創設と現在の医療支援
ジャパンハート設立の背景と理念「医療の届かない所へ」

ミャンマーでの医療活動を続ける中で、必要な治療を受けられずに命を落とす子どもたちの姿を目の当たりにし、個人の努力だけでは限界があることを痛感するようになります。設備や人材が不足する環境では、一時的な支援だけでは状況を大きく変えることが難しく、継続的に医療を届ける仕組みが必要だと考えるようになっています。
こうした経験を背景に、より多くの患者に安定した医療を届けるための組織としてジャパンハートが設立されています。「医療の届かない所へ」という理念は、ミャンマーでの活動を通じて生まれた強い思いをそのまま言葉にしたものです。医療を必要とする人がどこにいても治療を受けられる社会を目指し、国境を越えて医療を届ける姿勢が活動の中心に据えられています。
設立後は、ミャンマーだけでなくカンボジアやラオスなど、医療体制が十分でない地域にも活動が広がっています。現地の医療者育成や医療施設の整備にも取り組み、地域全体の医療環境を改善するための支援が続けられています。理念は活動の根幹として受け継がれ、現在もジャパンハートのすべての取り組みを支える指針になっています。
ミャンマー・カンボジア・ラオスでの医療支援の実態
ジャパンハートは、ミャンマー・カンボジア・ラオスの3カ国を中心に医療支援を行い、特に小児医療の分野で継続的な活動を続けています。これらの地域では、医療設備や専門医が不足しているため、手術が必要な子どもたちが治療を受けられない状況が多くあります。ジャパンハートは、こうした子どもたちに無償で手術や治療を提供し、命を救うための医療を届けています。
ミャンマーでは長年にわたり小児外科手術を中心とした医療支援が行われ、治療を受けられずにいた子どもたちに継続的な医療を届ける体制が整えられています。カンボジアでは小児がん治療にも力を入れ、治療機会が限られていた子どもたちが適切な医療を受けられる環境づくりが進められています。ラオスでも医療者不足が深刻な地域で手術支援を行い、必要な医療を届ける活動が続けられています。
さらに、ジャパンハートは医療者育成にも力を注いでいます。現地の医師や看護師が高度な医療技術を習得できるように研修を行い、地域全体の医療水準を長期的に向上させる取り組みが進められています。医療を提供するだけでなく、現地の医療者が自立して治療を行える環境を整えることが、活動の大きな柱になっています。
小児がん治療に取り組む理由と成果
小児がんは早期治療が重要でありながら、医療体制が整っていない地域では治療を受けられないまま命を落とす子どもが多くいます。必要な薬や設備が不足していることに加え、専門医が少ないことも大きな課題となっています。こうした状況を前に、治療の機会を持てない子どもたちを救うために小児がん治療への取り組みが始まっています。
ジャパンハートは、小児がん治療を継続的に提供できる体制づくりに力を注いでいます。治療を受けるために長距離を移動しなければならない子どもや、費用の問題で治療を諦めざるを得ない家庭が多い地域で、無償で治療を提供する仕組みを整えています。治療を受けられる環境が整うことで、これまで救えなかった命に手が届くようになっています。
治療体制の整備が進むにつれ、治療を完了し元気に生活を取り戻す子どもたちが増えています。小児がんは適切な治療を受ければ回復の可能性が高い病気であり、継続的な支援が成果として表れています。現地の医療者が治療に参加できるような育成も進められ、地域全体で小児がんに向き合う体制が広がっています。
短期医療ボランティア制度の仕組みと参加者数
ジャパンハートの短期医療ボランティア制度は、医療者が数日から数週間という限られた期間でも海外の医療支援に参加できるように整えられています。長期滞在が難しい医師や看護師でも参加しやすい仕組みが用意されており、現地の医療現場で必要とされる役割を担うことができます。手術支援や外来診療の補助など、専門性に応じた活動内容が設定されているため、参加者が無理なく貢献できる体制が整っています。
この制度は、現地の医療者と協力しながら活動する点が特徴で、参加者は短期間でも医療の質向上に寄与することができます。医療設備が限られた環境での経験は、参加者にとっても学びが多く、国内では得られない視点を持つきっかけになっています。こうした経験を通じて、国際医療への理解が深まり、継続的な支援につながるケースも増えています。
制度が整備されて以降、参加者は年々増加しています。医療者が国際医療に触れる機会が広がり、海外での医療支援に関心を持つ人が増えていることが背景にあります。短期間でも参加できる柔軟な仕組みが、多くの医療者にとって一歩を踏み出しやすい環境をつくり、現地の医療支援を支える大きな力になっています。
SmileSmile Projectなど国内支援活動の広がり

ジャパンハートは海外での医療支援に加えて、国内でも医療を必要とする子どもと家族を支える活動を広げています。その代表的な取り組みが、がんを患う子どもと家族を支援する「SmileSmile Project」です。治療のために長期間の入院や移動を余儀なくされる家庭は、精神的・経済的な負担が大きく、生活が大きく変わってしまうことがあります。このプロジェクトでは、そうした家族の負担を少しでも軽くするための支援が行われています。
具体的には、治療のために遠方から移動する必要がある家族に宿泊場所を提供したり、子どもが安心して治療を受けられるような環境づくりをサポートしたりする取り組みが進められています。家族が治療に専念できるようにすることで、子どもにとってもより良い治療環境が整えられています。
国内支援の広がりは、海外での活動と同じく「必要な場所に医療を届ける」という理念に基づいています。医療が届きにくい状況は海外だけでなく国内にも存在し、支援を必要とする家庭は少なくありません。こうした現状に寄り添う取り組みは、多くの人から評価され、国内での活動の重要性が広く認識されるようになっています。
家族(妻・子供)と支え合う生活
吉岡秀人は、海外での医療活動が長期間に及ぶ生活の中でも、家族の存在を大切にしながら日々の活動を続けています。ミャンマーやカンボジアなどでの支援活動は、年間の多くを海外で過ごすことが避けられない環境ですが、その背景には家族の理解と支えがあります。家族が活動の意義を共有し、前向きに受け止めていることが、国際医療支援を継続する大きな力になっています。
妻や子どもとの時間は限られることもありますが、帰国した際には家族との時間を丁寧に過ごし、互いの生活を尊重し合う関係が築かれています。海外での厳しい環境に向かう際にも、家族の存在が精神的な支えとなり、活動を続ける原動力になっています。家族の理解があることで、医療が届かない地域に向き合う覚悟が揺らぐことなく、長年にわたる支援活動が実現しています。
家族との関係は、医療活動の裏側で静かに支え続ける大切な要素であり、吉岡秀人の歩みを支える基盤のひとつになっています。
新病院「アジア小児医療センター」開設の目的
アジア小児医療センターは、これまで十分な治療を受けられなかった子どもたちに、より高度な小児医療を届けるために設立されています。小児がんをはじめとする重い病気の治療には専門的な設備と技術が必要ですが、医療体制が整っていない地域では治療の選択肢が限られている状況が続いていました。この課題を解消するため、専門医が常駐し、継続的に治療を提供できる拠点としてセンターが整えられています。
センターでは、小児がん治療を中心に、手術や長期治療が必要な子どもたちに対して総合的な医療を提供できる体制が構築されています。治療に必要な設備が整えられ、現地の医療者が専門的な技術を学べる環境も整備されています。これにより、治療を受けるために遠方へ移動する必要があった子どもたちが、より身近な場所で適切な医療を受けられるようになっています。
また、このセンターは単に治療を行う場所としてだけでなく、地域全体の医療水準を引き上げる役割も担っています。現地の医療者が高度な医療技術を習得し、将来的に自立した医療提供ができるようになることを目指した取り組みが進められています。アジア小児医療センターは、子どもたちの命を救うための新たな拠点として期待され、地域医療の発展に大きく寄与する存在となっています。
現在も年間3分の2を海外で活動する働き方
吉岡秀人は現在も年間のおよそ3分の2を海外で過ごし、ミャンマーやカンボジア、ラオスなどの現地で医療支援に取り組んでいます。長期間にわたる海外活動は体力的にも精神的にも負担が大きく、生活の多くを移動と医療現場に費やす日々が続いています。それでも活動を続けられる背景には、治療を必要とする子どもたちの存在があり、医療が届かない地域で救える命があるという現実が強い原動力になっています。
現地では手術や診療に加え、医療者の育成や医療体制の整備にも力を注いでいます。単に治療を提供するだけでなく、現地の医療者が自立して医療を提供できるようになることを目指し、継続的な支援が可能な仕組みづくりが進められています。こうした取り組みにより、医療が届きにくい地域でも安定した治療が受けられる環境が少しずつ整えられています。
海外での活動が長期に及ぶ働き方は特殊ではありますが、必要とされる場所に医療を届けるという理念に基づき、現在も変わらず現地での支援が続けられています。
吉岡秀人は何者?活動全体から見える要点まとめ
- 大阪府吹田市で育ち幼少期から人の役に立つ仕事を志してきた
- 大分医科大学で小児医療への関心を深め医師としての方向性を固めた
- 救急病院での経験から医療格差の深刻さを強く意識するようになった
- ミャンマーで単独医療活動を行い設備不足の中で治療を続けた
- 帰国後に国内で小児外科の専門性を磨き高度な技術を習得した
- 再びミャンマーに戻り継続的な医療提供の体制づくりに取り組んだ
- 東日本大震災で被災地医療に参加し国内支援の必要性も認識した
- 長年の活動が評価され菊池寛賞や正力松太郎賞を受賞している
- ジャパンハートを設立し医療の届かない地域に医療を届ける理念を掲げた
- ミャンマーやカンボジアなどで小児医療を中心に支援を続けている
- 小児がん治療の体制整備を進め治療機会の少ない子どもを支えている
- 短期医療ボランティア制度を整え多くの医療者が参加できる環境を作った
- 国内ではSmileSmile Projectを通じて家族支援にも取り組んでいる
- アジア小児医療センターを開設し高度な小児医療を提供する拠点を整えた
- 年間の多くを海外で過ごし必要とされる地域で医療支援を続けている
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