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スーパーボランティア尾畠春夫の現在!最新ボランティア活動と夜間中学など

芸能
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尾畠春夫さんは由布岳の整備やごみ拾い、被災地支援、そして夜間中学での学びなど、日々の行動を積み重ねています。 特別なことを求めず、自分にできる範囲で続ける姿勢は、多くの人に勇気を与えています。 これまでの歩みや現在の活動を振り返ることで、尾畠さんが大切にしてきた価値観や、生き方の魅力がより立体的に見えてきます。

【この記事のポイント】

  • 尾畠春夫さんが現在続けている主な活動
  • ボランティアを支える考え方と姿勢
  • 若い世代に伝えているメッセージ
  • これからの目標と活動の見通し



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スーパーボランティア尾畠春夫の現在

プロフィールで見る尾畠春夫さんの歩み

尾畠春夫さんは1939年生まれ。 大分県で育ち、若い頃から働き続けてきた人生の中で、長く営んでいたのが鮮魚店「魚春」です。約37年間にわたり店を切り盛りし、地域の暮らしを支える存在として日々を過ごしていました。魚の仕入れから調理、販売までを一手に担う生活は体力も気力も必要で、そこで培われた経験が後のボランティア活動にもつながっていきます。

鮮魚店を閉じた後、尾畠さんは自然の中での活動に時間を使うようになり、1993年頃から由布岳の登山道整備や清掃活動を続けるようになりました。登山道の危険箇所を補修したり、ごみを拾ったりする地道な作業を積み重ねるうちに、「自分にできることを黙々とやる」という姿勢が形になっていきます。こうした日々の取り組みが、後に全国各地で活動する原点になりました。

転機となったのは2004年の新潟県中越地震です。被災地の状況を知り、迷うことなく現地へ向かったことが、本格的な災害ボランティアとしての第一歩になりました。現場では、がれきの撤去や物資の運搬など、体力を必要とする作業を率先して行い、周囲から頼られる存在になっていきます。年齢に関係なく動き続ける姿勢は、多くの人の記憶に残るものとなりました。

そして2018年、山口県周防大島町で行方不明になっていた2歳児を発見した出来事が、尾畠さんの名を全国に広めました。炎天下の中、山中を歩き続けて子どもを見つけ出した行動は大きな反響を呼び、社会からの注目が一気に高まりました。この出来事は、尾畠さんが長年積み重ねてきた経験と信念が結実した瞬間でもあります。

鮮魚店主としての長い年月、自然の中での地道な活動、そして被災地での支援。どの時期にも共通しているのは、「人の役に立ちたい」という一貫した思いです。86歳となった現在も、その姿勢は変わらず、日々の行動に表れています。

大分県日出町での暮らしと日課

尾畠春夫さんが拠点としている大分県速見郡日出町は、海と山が近く、静かで落ち着いた環境が広がっています。 この土地での暮らしは、長年続けてきたボランティア活動を支える基盤となっており、日々の生活リズムにもその姿勢が表れています。

朝はまだ薄暗い時間帯から動き始め、まずはジョギングやストレッチで体を整えています。 無理をせず、続けられる範囲で体を動かすことを大切にしており、毎日の積み重ねが体力維持につながっています。 天候が悪い日でも、できる範囲で体を動かす習慣を崩さず、86歳とは思えないほどの持久力を保っています。

自宅には地域の人が訪れることも多く、相談事や挨拶のために立ち寄る人が絶えないとされています。 尾畠さんは訪れた人に対して自然体で接し、特別な態度を取ることなく、地域の一員として日常を過ごしています。 長年の活動を通じて築かれた信頼が、こうした交流の多さにつながっていると考えられます。

日出町での暮らしは派手さこそありませんが、毎日の積み重ねを大切にする姿勢がそのまま表れています。 体を動かし、人と関わり、規則正しい生活を続けることで、ボランティア活動に必要な体力と気力を保ち続けています。 年齢を理由に生活を縮めるのではなく、できることを丁寧に続ける姿勢が、現在の活動を支える土台になっています。

夜間中学「学びケ丘中学校」入学の理由

2026年4月、尾畠春夫さんは大分県で初めて開校した夜間中学「県立学びケ丘中学校」に入学しました。 86歳という年齢で新たな学びの場に立つ姿は大きな注目を集めましたが、その背景には長い年月をかけて抱き続けてきた思いがあります。

尾畠さんは小学校5年生の頃、家庭の事情で農家に奉公に出されました。 当時は家計を支えるために働くことが優先され、学校に通う時間を十分に確保することが難しい状況でした。 学びたい気持ちがあっても、それを叶えられないまま大人になり、鮮魚店を営む生活へと進んでいきます。 その後、ボランティア活動に力を注ぐようになってからも、「基礎的な学びをやり直したい」という思いは心の中に残り続けていました。

夜間中学への入学は、その長年の思いに区切りをつける大きな一歩でした。 教室で机に向かい、同級生と共に学ぶ時間は、若い頃に叶えられなかった経験を取り戻すようなものでもあります。 読み書きや計算といった基礎学習だけでなく、仲間との交流や新しい知識との出会いが日々の刺激になり、生活に張り合いをもたらしています。

尾畠さんは「人生は一生勉強」という考えを大切にしており、年齢に関係なく学び続ける姿勢を貫いています。 86歳で教室に通う姿は、多くの人に「学び直しはいつからでも遅くない」という希望を感じさせています。 これまでの人生で積み重ねてきた経験に、新たな学びが加わることで、尾畠さんの活動や生き方にさらに深みが生まれています。

健康状態と右目失明・右耳聴覚障害

尾畠春夫さんは、これまでの人生の中で右目を失明し、右耳の聴力も失っています。 視覚と聴覚の一部を失うことは日常生活に大きな影響を与えますが、その状況にとどまらず、自分にできる方法を探し続けてきました。 不自由さを抱えながらも、体を動かす習慣を崩さず、日々の生活の中で工夫を重ねています。

朝のジョギングやストレッチは、長年続けてきた大切な日課です。 無理をせず、続けられる範囲で体を動かすことで、筋力や持久力を維持し、ボランティア活動に必要な体力を保っています。 山歩きも欠かさず行い、足腰を鍛えることで、険しい地形の現場でも動ける状態を維持しています。 こうした日々の積み重ねが、年齢を重ねても現場で活動できる理由のひとつになっています。

体の不調や年齢を理由に立ち止まるのではなく、できる範囲で前に進む姿勢が一貫しています。 視界が限られる状況でも、周囲の状況を丁寧に確認しながら行動し、聴覚の不自由さを補うために人の声や気配を注意深く感じ取る工夫をしています。 不自由さを抱えながらも、できることを丁寧に続ける姿勢は、同じように健康に不安を抱える人にとっても励ましとなる生き方です。

高齢期の健康との向き合い方として、尾畠さんの姿勢は多くの示唆を与えています。 体の状態が変化しても、生活習慣を整え、無理のない範囲で体を動かし続けることで、心身のバランスを保つことができるという実例でもあります。 年齢や障害を理由に行動を制限するのではなく、自分にできる方法を探し続ける姿勢が、現在の活動を支える大きな力になっています。

これまでの表彰歴と緑綬褒章

尾畠春夫さんは、長年にわたる地道な活動を通じて、多方面から評価を受けてきました。 ごみゼロ運動や環境美化に関する取り組みでは、地域の環境を守るために続けてきた清掃活動が認められ、複数の表彰を受けています。 登山道整備や地域の環境保全に関わる活動は、派手さはないものの、長く続けることで地域に確かな変化をもたらしてきました。

災害支援の分野でも、尾畠さんの存在は大きなものがあります。 新潟県中越地震や東日本大震災をはじめ、全国各地の被災地で力を尽くしてきた姿勢が評価され、防災功労者としての表彰も受けています。 現場では、がれきの撤去や物資運搬など、体力を必要とする作業を率先して行い、周囲から頼られる存在として活動してきました。 こうした積み重ねが、自然と多くの表彰につながっています。

そして2020年には、長年のボランティア活動が国から正式に認められ、緑綬褒章を受章しました。 緑綬褒章は、社会に対して善行を積み重ねた個人に贈られるもので、尾畠さんの活動が社会的にも高く評価された証といえます。 本人は名誉や肩書きを求めて行動してきたわけではなく、あくまで「人の役に立ちたい」という思いを大切にしてきました。 その結果として表彰が積み重なっている点に、活動の厚みと一貫した姿勢が表れています。

これらの表彰は、尾畠さんが長年続けてきた行動の積み重ねが、確かな形として社会に認められたものです。 一つひとつの活動は小さく見えるかもしれませんが、長い年月をかけて続けることで、多くの人の心に届く大きな力となっています。

由布岳登山道整備から始まったボランティアの原点

尾畠春夫さんのボランティア活動は、由布岳の登山道整備やごみ拾いといった、身近で地道な取り組みから始まっています。 登山を楽しむ中で、危険な箇所や放置されたごみが目につくようになり、「気づいた人がやればいい」という考えのもと、自分にできる範囲の作業を続けるようになりました。 誰かに頼まれたわけではなく、必要だと感じたことをその場で行う姿勢が、後の活動につながっていきます。

登山道の整備では、崩れかけた段差を補強したり、滑りやすい場所に木材を敷いたりと、登山者が安全に歩けるように工夫を重ねてきました。 ごみ拾いも、山を訪れる人が気持ちよく歩ける環境を守るための大切な作業として続けられてきました。 こうした小さな積み重ねが、地域の自然環境を守るだけでなく、尾畠さん自身の「行動する習慣」を育てていきます。

やがて活動の場は、山から被災地や行方不明者の捜索現場へと広がっていきました。 登山道整備で培った体力や観察力、危険箇所を見極める感覚は、災害現場でも大いに役立つものとなりました。 がれきの中を歩く際の足運びや、山中での捜索に必要な判断力など、日頃の活動がそのまま現場での力になっています。

尾畠さんの原点には、特別な技術や大きな目標があったわけではありません。 「自分にできることをやる」というシンプルな姿勢を続けてきた結果、活動の幅が自然と広がり、多くの人を支える存在へと成長していきました。 地道な作業を積み重ねる姿勢は、現在の災害ボランティアにも通じており、尾畠さんの生き方そのものを象徴しています。

座右の銘「人生1回だから自分に正直に」

尾畠春夫さんが大切にしている「人生1回だから自分に正直に」という言葉には、これまで歩んできた人生の積み重ねがそのまま込められています。 幼い頃に奉公に出され、家族と離れて働く生活を送った経験は、子どもながらに多くの我慢や責任を背負うものでした。 その後、鮮魚店での長い修業時代を経て店を構え、地域の人々と向き合いながら働き続ける中で、「自分の心に嘘をつかない生き方」を強く意識するようになっていきます。

被災地での活動では、厳しい環境や過酷な現場に立ち続けることが求められました。 がれきの中を歩き、泥にまみれ、時には危険を伴う状況でも、尾畠さんは迷わず行動してきました。 そこには損得ではなく、「困っている人の力になりたい」という純粋な思いがあり、その思いが行動の原動力になっています。 誰かの役に立つことを優先し、自分の時間や労力を惜しまない姿勢は、多くの人の心に深く残るものです。

この価値観は、年齢や立場に関係なく、人がどう生きるかを考えるきっかけを与えてくれます。 自分の気持ちに正直であることは簡単ではありませんが、尾畠さんはその姿勢を日々の行動で示し続けています。 周囲の評価や見返りを求めず、自分が正しいと思うことを積み重ねてきた結果が、現在の姿につながっています。

「人生は一度きり」という言葉は、尾畠さんにとって単なる座右の銘ではなく、生き方そのものです。 その姿勢は、どんな状況でも前を向き、自分の信じる道を歩む力を与えてくれるものとして、多くの人に影響を与え続けています。


スーパーボランティア尾畠春夫の現在とボランティア最前線

由布岳登山道整備とごみ拾い活動の現在

尾畠春夫さんは、現在も由布岳周辺での登山道整備やごみ拾いを続けています。 この活動は、派手さこそありませんが、山を訪れる人たちの安全と自然環境を守るために欠かせない取り組みです。 長年続けてきた地元での活動は、遠方での災害支援と同じくらい大きな意味を持っています。

登山道整備では、雨で崩れた段差を補強したり、滑りやすい場所に木材を敷いたりと、登山者が安心して歩けるように細かな工夫を重ねています。 廃材を活用して階段を作り直すこともあり、限られた資源の中でできる方法を考えながら作業を進めています。 こうした整備は、山を訪れる人が気づかないほど自然に馴染んでおり、尾畠さんの丁寧な仕事ぶりが表れています。

ごみ拾いも継続的に行われており、登山道や周辺の自然環境を守るために欠かせない作業です。 山に残されたごみは景観を損ねるだけでなく、動物や植物にも悪影響を与えることがあります。 尾畠さんは、見つけたごみをその場で拾い、持ち帰ることを習慣として続けています。 この積み重ねが、由布岳の美しい環境を保つ大きな力になっています。

地元でのこうした活動は、遠方での災害ボランティアと同じ精神で行われています。 「自分にできることをやる」という姿勢は変わらず、日常の中で自然と行動に移されています。 大きな支援だけがボランティアではなく、身近な場所での小さな取り組みが積み重なることで、多くの人の安全や安心につながっていることを示す例でもあります。

尾畠さんの由布岳での活動は、地域に根ざした継続的な取り組みとして、今も静かに続けられています。 その姿勢は、誰にでもできる一歩を示しており、地域の自然を守る大切さを改めて感じさせてくれます。

大分佐賀関火災での「思い出探し隊」の活動

2025年に大分市佐賀関で大規模火災が発生した際、尾畠春夫さんは現場に足を運び、被災者の「思い出」を探し出す活動に取り組みました。 家屋が焼失した現場では、生活用品だけでなく、家族の写真やアルバム、記念品など、かけがえのない品々も失われてしまいます。 尾畠さんが行ったのは、そうした大切な品を泥やがれきの中から一つずつ探し出す「思い出探し隊」としての活動でした。

火災現場は高温で焼け焦げ、建物の形がほとんど残っていないことも多く、探し物を見つけるのは容易ではありません。 それでも、写真の一部やアルバムの表紙、金属製の小物など、わずかな痕跡を頼りに丁寧に掘り起こしていきます。 泥にまみれながらの作業は体力も気力も必要ですが、被災者にとっては「思い出が戻ってきた」という実感が、前を向く力につながります。

尾畠さんは、家や家具が失われても、家族の記憶が詰まった品が見つかることで、被災者の心が少しでも軽くなると考えています。 そのため、時間を惜しまず、手作業で丁寧に探し続ける姿勢を貫いています。 見つかった写真を手にした被災者が涙を流しながら喜ぶ姿は、活動の意義を強く感じさせる瞬間でもあります。

この「思い出探し隊」としての取り組みは、災害支援の中でも特に心に寄り添う支援として評価されています。 物資の提供やがれき撤去とは異なり、失われた心の拠り所を取り戻すための支援であり、尾畠さんの活動の中でも大切な位置を占めています。 派手さはありませんが、被災者の心に深く届く支援として、多くの人の記憶に残る活動となっています。

京都・小6男児行方不明への対応と府外ボランティアの壁

2026年3月、京都府南丹市で小学6年生の男児が行方不明になる出来事が起きました。 この知らせを知った尾畠春夫さんは、居ても立ってもいられず、大分県から軽ワゴン車を走らせて現地へ向かいました。 高速道路ではなく一般道を選び、約650kmの道のりを自ら運転して進んだ行動力は、86歳という年齢を感じさせないものです。

車には、山中での捜索に必要な装備が一式積まれていました。 鎌やノコギリ、ロープ、ヘッドライト、そして数日間の活動に耐えられるだけの食料や水も準備されていました。 これらは、これまで多くの捜索現場を経験してきた尾畠さんが、自分の身を守りながら最大限の力を発揮するために欠かせない道具です。 現場に負担をかけないよう、すべてを自分でまかなう「自己完結型」の姿勢がここにも表れています。

京都と滋賀の県境付近まで到着したものの、現地での調整の結果、府外在住者の受け入れが難しいという方針が示されました。 安全管理や指揮系統の統一など、捜索活動には多くの配慮が必要であり、その一環として外部ボランティアの参加が制限されることがあります。 尾畠さんはその方針を尊重し、捜索への参加を断念せざるを得ませんでした。

長距離を走ってきたにもかかわらず、現場に入れなかった悔しさは大きかったと考えられます。 しかし、尾畠さんは状況を受け止め、無理に行動することなく引き返す判断をしました。 これまで多くの現場を経験してきたからこそ、現地の方針を乱さないことが最優先であると理解していたためです。

この出来事は、ボランティアの思いと現場の体制が必ずしも一致しない現実を示しています。 それでも、尾畠さんが示した「現場を尊重する姿勢」は、ボランティア活動における大切な在り方のひとつとして、多くの人の心に残るものとなっています。

「生きていると100パーセント思っている」という信念

京都での捜索に参加できなかった後も、尾畠春夫さんは行方不明となった男児が必ず生きていると強く信じ続けています。 この揺るがない思いは、長年の捜索経験から生まれたものです。 子どもが迷子になった場合、恐怖から逃げるように山の上へ向かうことが多いという傾向を理解しており、その前提でどの方向に進んだかを考えながら捜索のイメージを組み立てていました。

尾畠さんの中には、「人の命はそう簡単に消えるものではない」という確固とした信念があります。 過去の捜索活動でも、厳しい状況の中で無事に発見された例を数多く見てきた経験が、この思いを支えています。 だからこそ、現場に入れなかった状況でも、男児が必ず生きていると信じ、希望を持ち続けています。

京都まで650km以上を走り、装備を整えて現地に向かったにもかかわらず、府外ボランティアの受け入れが難しいという理由で捜索に参加できなかったことは、大きな悔しさを伴う出来事でした。 しかし、尾畠さんは現場の方針を尊重し、無理に行動することなく引き返す判断をしています。 その後も、遠く離れた場所から男児の無事を祈り続ける姿勢は、尾畠さんの誠実さと深い思いやりを感じさせます。

この「生きていると100パーセント思っている」という言葉には、希望を捨てない強さと、人の命に対する深い敬意が込められています。 現場に立てなくても、心の中で捜索を続けるような真摯な姿勢が、多くの人の胸に響くものとなっています。 尾畠さんの信念は、困難な状況でも前を向く力を与えてくれる、生き方そのものと言えます。

南三陸町など被災地支援での「思い出探し隊」

東日本大震災が発生した際、尾畠春夫さんは宮城県南三陸町に入り、約500日という長い期間にわたって活動を続けました。 その中でも特に力を注いだのが、写真やアルバム、記念品などを探し出す「思い出探し隊」としての取り組みです。 津波によって町全体が壊滅的な被害を受け、多くの家庭が家族の記憶を失いました。 尾畠さんは、がれきの中に埋もれた小さな写真片やアルバムの表紙を丁寧に拾い集め、持ち主のもとへ届ける作業を続けました。

がれきの山の中で思い出の品を探す作業は、体力だけでなく精神的な負担も大きいものです。 泥にまみれ、鋭利な破片が散らばる危険な環境の中で、尾畠さんは一つひとつ手作業で掘り起こし、丁寧に洗い、乾かし、持ち主を探しました。 写真を受け取った被災者が涙を流しながら喜ぶ姿は、尾畠さんにとって活動を続ける大きな励みになっていたと考えられます。

長期にわたる活動の中で、尾畠さんは多くのボランティア仲間から精神的な支えとして頼られる存在になっていきました。 厳しい環境の中でも前向きに行動し続ける姿勢は、周囲の人々に安心感を与え、現場の雰囲気を明るくする力がありました。 若いボランティアから「師匠」と呼ばれることもあり、その経験と行動力は多くの人に影響を与えています。

南三陸町での経験は、その後の各地での活動にも大きな影響を与えています。 被災地での支援は物資や作業だけではなく、失われた心の拠り所を取り戻すことも重要であると実感し、尾畠さんはその思いを胸に、各地で「思い出探し隊」としての活動を続けています。 地道で丁寧な作業を積み重ねる姿勢は、どの現場でも変わらず、被災者の心に寄り添う支援として高く評価されています。

ボランティアを続けるための準備と装備

尾畠春夫さんのボランティア活動は、すべてを自分でまかなう「自己完結型」のスタイルが特徴です。 現地に負担をかけず、必要なものをすべて自分で準備して向かう姿勢は、長年の経験から生まれたものです。 その徹底ぶりは、活動の根底にある責任感と覚悟を強く感じさせます。

活動に向かう際、尾畠さんは食料・水・調理器具・寝具・工具など、数日間の山中活動に耐えられる装備を軽ワゴン車に積み込みます。 鎌やノコギリ、ロープ、ヘッドライトなど、捜索や整備に必要な道具も常に持ち歩き、現場で不足するものがないように準備しています。 これらの装備は、どのような状況でも自分の力で動けるようにするための必需品です。

宿泊も車中泊でまかない、現地の宿泊施設や支援物資に頼らないようにしています。 このスタイルは、被災地の限られた資源を圧迫しないための配慮でもあり、尾畠さんが大切にしている「迷惑をかけない」という考え方が表れています。 車内には生活に必要なものが整えられ、どこでもすぐに活動できるよう工夫されています。

愛用の軽ワゴン車には「朝は必ず来るよ」という言葉が書かれています。 この言葉は、被災地で出会った人々を励ますために掲げられたもので、尾畠さん自身の信念を象徴しています。 この車は全国の被災地や捜索現場を共に巡ってきた相棒であり、尾畠さんの活動を支える大切な存在です。

こうした準備と覚悟があるからこそ、尾畠さんは現場での負担を最小限にしながら、最大限の力を発揮することができています。 自分にできることを確実に行うための準備を怠らない姿勢は、ボランティア活動におけるひとつの理想的な形として、多くの人に影響を与えています。

若い世代へのメッセージと学び

尾畠春夫さんは、若い世代に対して特別な能力や大きな覚悟を求めているわけではありません。 むしろ、自分の生活の中で無理なく続けられることを一つずつ積み重ねる大切さを伝えています。 ボランティアは特別な人だけが行うものではなく、誰でもできる範囲から始められる行動だという考え方が根底にあります。

尾畠さん自身の活動は大規模な災害現場に向かうこともありますが、その原点は由布岳でのごみ拾いや登山道整備といった身近な取り組みでした。 その姿勢は、若い世代にとって「まずは身の回りの小さなことから始めればいい」というメッセージとして伝わっています。 地域の清掃活動に参加したり、募金活動に協力したりと、日常の中でできる一歩を踏み出す人が増えているのは、尾畠さんの影響の大きさを示しています。

また、尾畠さんは「続けること」の大切さも語っています。 一度だけの行動ではなく、無理のない範囲で継続することで、自分の生活にも周囲にも良い変化が生まれるという考え方です。 若い世代にとって、継続の価値を実感できる言葉として受け止められています。

尾畠さんの姿勢は、誰かと比べるのではなく、自分にできることを丁寧に続ける生き方の手本となっています。 その考え方は、ボランティアに限らず、日々の生活や仕事、学びにも通じるものです。 大きなことを成し遂げるよりも、小さな行動を積み重ねることが未来につながるというメッセージは、多くの若い世代にとって励ましになっています。

これからの目標と「活動の一区切り」発言の背景

尾畠春夫さんは、これまでの活動の中で「どこかで一区切りをつける」という趣旨の発言をしたことがあります。 長年にわたり全国の被災地を巡り、山での整備を続け、体力的にも精神的にも負担の大きい活動を続けてきたからこそ、そうした言葉が自然に出てきたと考えられます。 しかし実際には、86歳となった現在も、由布岳での登山道整備やごみ拾い、各地での支援活動、そして夜間中学での学びなど、新しい挑戦を続けています。

活動の形は、年齢や体力の変化に合わせて少しずつ変わっていく可能性があります。 遠方への長距離移動が難しくなることもあれば、山での作業量を調整することもあるかもしれません。 それでも、「人の役に立ちたい」という思いは変わらず、無理のない範囲でできることを続けていく姿勢が一貫しています。 大きな支援だけでなく、身近な場所での小さな行動も同じ価値を持つという考え方が、尾畠さんの活動を支えています。

夜間中学での学びも、これからの生き方に新しい視点をもたらしています。 若い頃に十分に学べなかった経験を取り戻すだけでなく、学びを通じて地域の人々と交流し、新たな刺激を得る場にもなっています。 学び続ける姿勢は、活動を続けるための心の支えにもなっていると考えられます。

これからの尾畠さんは、体力や環境に合わせながら、自分にできる範囲で行動を続けていくと見られます。 大きな目標を掲げるのではなく、日々の積み重ねを大切にしながら、地域や人々に寄り添う姿勢は変わらないままです。 「一区切り」という言葉があっても、その根底にある思いは途切れることなく、これからも静かに行動を続けていく姿が想像されます。

スーパーボランティア尾畠春夫の現在

  • 大分県日出町を拠点に地道な活動を継続
  • 早朝の運動習慣で体力維持を心がける
  • 由布岳の登山道整備を今も継続して実施
  • 山道の補強や清掃で登山者の安全を支える
  • 地域住民との交流が多く相談も受けている
  • 夜間中学に入学し基礎学習を学び直している
  • 幼少期の奉公経験から学びへの思いが強い
  • 災害現場では思い出探し隊として活動する
  • 写真や記念品を探し被災者の心に寄り添う
  • 遠方の捜索にも自ら運転し駆けつける姿勢
  • 自己完結型の装備準備で現場負担を減らす
  • 軽ワゴン車は活動を支える大切な相棒となる
  • 若い世代に無理なく続ける行動の大切さを伝える
  • 人の役に立ちたいという思いは今も変わらない
  • 体力に合わせながらできる範囲で活動を継続







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