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濱田祐太郎って何者?視覚障害を抱えたお笑い芸人の経歴と人生の歩み

芸能
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視覚障害を抱えながらも、漫談というジャンルで独自の表現を確立した濱田祐太郎。NSCでの修業時代から、R-1ぐらんぷり優勝という快挙、そして講演や執筆活動まで、彼の経歴には多くの挑戦と工夫が詰まっています。

舞台での語り口やユーモアの工夫、国家資格を活かした一面、社会との接点を広げる取り組みなど、その人物像には深い魅力があります。芸人としての芯を持ちながら、発信活動や啓発活動にも力を注ぐ濱田さんの姿を通して、笑いの力と人間の可能性を感じてみてください。

【この記事のポイント】

  • 濱田祐太郎がNSCで学び芸人としてデビューした経緯
  • 視覚障害を活かした漫談スタイルと舞台での工夫
  • R-1ぐらんぷり優勝やNHK新人お笑い大賞決勝進出の実績
  • 国家資格やユニバーサル社会推進活動など多面的な取り組み


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濱田祐太郎は何者?生い立ちと人物像

兵庫県神戸市出身、幼少期からの視覚障害とは

濱田祐太郎さんは1989年に兵庫県神戸市須磨区で生まれました。生まれつき左目はまったく見えず、右目も幼少期には近くのものがぼんやりと見える程度でした。成長するにつれて右目の視力も徐々に低下し、小学校高学年になる頃には明暗がわかる程度にまで視力が落ちていきます。

先天性緑内障は、眼球内の水分の流れが妨げられることで眼圧が上昇し、視神経にダメージを与える病気です。濱田さんの場合は赤ちゃんの頃から定期的に手術を受けており、視力の維持に努めていましたが、安定することはありませんでした。

小学校と中学校は通常の学校に通っていました。当時はまだ右目が少し見えていたため、友達とゲームをしたり、自転車に乗って遊ぶこともできていました。しかし、黒板の文字や教科書の内容が見えづらくなってからは、拡大教科書を使ったり、補助の先生が横について授業をサポートするようになります。

視力が低下していく中でも、濱田さんは周囲との関わりを通じて、豊かな感性と表現力を育んでいきました。視覚に頼らずに人の声や空気を感じ取る力が養われ、後の漫談家としての土台にもつながっていきます。

小学生時代に芽生えたお笑いへの関心

濱田祐太郎さんが初めてお笑いに強く惹かれたのは、小学6年生の頃でした。当時はまだ右目にわずかな視力が残っており、すりガラス越しにぼんやりとテレビの映像を見ることができていました。そんなある日、テレビで放送されていた「ハリガネロック」と「ビッキーズ」の漫才を目にし、その面白さに心を奪われます。視覚的な情報よりも、言葉のやり取りや間の取り方、声の抑揚など、音声だけでも十分に伝わる笑いの力に強く惹かれていきました。

その後、第一回M-1グランプリが開催され、優勝した中川家の漫才を見てさらに衝撃を受けます。自分が面白いと思っていたコンビ以上に笑わせる人たちがいることを知り、お笑いの奥深さに魅了されていきました。この頃から、将来は芸人になりたいという夢を抱くようになります。

視覚に制限がある中でも、濱田さんは耳から入る情報に敏感で、言葉のニュアンスや空気感を感じ取る力を育んでいきました。お笑い番組を通じて、笑いが人の心を動かす力を持っていることを実感し、自分もその世界に立ちたいという思いが強まっていきます。

中学時代に芸人を志したきっかけ

濱田祐太郎さんが芸人になることを本気で考え始めたのは、中学生の頃です。小学生時代にテレビで見た漫才に強く惹かれた経験が心に残っており、その思いが中学に入ってからさらに膨らんでいきました。視覚障害がある中でも、言葉と声だけで人を笑わせることができるという可能性に気づき、自分にもできるかもしれないという希望を抱くようになります。

当時はまだ右目にわずかな視力が残っていたものの、日常生活には多くの困難がありました。それでも、周囲の人との会話やちょっとした冗談で笑いが起きる瞬間に、自分の言葉が誰かの気持ちを動かす力になることを実感していきます。そうした経験が積み重なり、芸人という職業が単なる憧れではなく、現実的な目標として意識されるようになります。

両親に芸人になりたいと伝えた際には、最初は驚かれたそうです。視覚障害がある中で芸人として生きていくことは簡単ではないと考えられていたからです。しかし、濱田さんはその思いを諦めず、何度も話し合いを重ねた結果、「好きにしたらいい」と背中を押してもらえるようになります。このやり取りは、彼にとって大きな転機となり、進路を決めるうえでの強い支えとなりました。

中学卒業後は、視覚障害者向けの特別支援学校に進学し、国家資格の取得を目指す一方で、芸人になるという夢を持ち続けます。現実的な生活基盤と夢の両立を考えながら、着実に準備を進めていく姿勢が、後の活動にもつながっていきます。

視覚特別支援学校で取得した国家資格

濱田祐太郎さんは中学卒業後、大阪府立大阪南視覚支援学校に進学しました。この学校は視覚に障害のある生徒を対象に、生活技術や職業訓練を含めた教育を行っており、将来の自立を見据えた学びの場として知られています。

在学中、濱田さんはあん摩マッサージ指圧師の国家資格取得を目指して専門課程に進みました。この資格は、視覚障害者が取得できる代表的な医療系国家資格のひとつで、身体の構造や筋肉の働き、経絡といった東洋医学の知識を学びながら、実技を通じて施術技術を身につけていきます。

資格取得には、3年間の専門課程修了と国家試験の合格が必要です。濱田さんは日々の授業や実習に真面目に取り組み、無事に国家資格を取得しました。この選択は、将来の生活を安定させるための現実的な備えであると同時に、自分の手で人の役に立てるという実感を得られる道でもありました。

芸人としての夢を持ちながらも、確かな技術と資格を身につけることで、人生の選択肢を広げていった濱田さんの姿勢は、同じような境遇にある人々にとっても大きな励みとなっています。

吉本興業NSC入学と同期芸人たち

濱田祐太郎さんは2012年、吉本興業が運営する吉本総合芸能学院(NSC)大阪校に第35期生として入学しました。NSCは多くの人気芸人を輩出してきた養成所で、漫才やコント、ピン芸など幅広いジャンルの芸を学ぶことができる環境です。

入学当初から濱田さんはピン芸人としての道を選び、視覚障害という自身の特性を活かした漫談スタイルを模索していきます。同期には、後に『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝するゆりやんレトリィバァさんや、吉本新喜劇で活躍する芸人たちが在籍しており、個性豊かな仲間たちと切磋琢磨する日々が続きました。

授業では、舞台での立ち振る舞いや発声、ネタ作りの技術を学びながら、実際の劇場での実演を通じて経験を積んでいきます。濱田さんは視覚に頼らない表現力を磨くため、言葉の選び方や間の取り方に特に力を入れていました。同期の芸人たちとの交流も刺激となり、互いの芸風を尊重しながら成長していく空気がありました。

NSC在学中から劇場出演の機会もあり、観客の反応を肌で感じることで、自分の芸がどのように受け止められるかを実感していきます。卒業後は吉本興業に所属し、劇場やテレビなどで本格的な活動を開始することになりますが、この養成期間が濱田さんにとって芸人としての基盤を築く大切な時間となりました。

盲目を活かした独自の漫談スタイル

濱田祐太郎さんは、視覚障害という自身の特性を前向きに受け止め、それを芸の核に据えた漫談スタイルを築いてきました。舞台には白杖を持って登場し、見えないことを前提にした語り口で、日常の出来事や自身の体験をユーモアに変えて語ります。視覚障害者ならではの「あるある」や、盲学校でのエピソードなどを題材にしたネタは、観客の笑いを誘うと同時に、共感や気づきを生み出しています。

濱田さんの漫談は、視覚に頼らない分、言葉の選び方や間の取り方、声の抑揚に細やかな工夫が凝らされています。見えないからこそ感じる世界の違和感や、周囲とのやり取りの中で生まれる笑いを、飾らない言葉で伝えるスタイルは、聴く人の心に自然と届いていきます。

また、ネタの中には、視覚障害に対する社会の反応や偏見を逆手に取ったものもあり、笑いを通じて多様性や共生について考えるきっかけにもなっています。濱田さんは「目が見えないことは外せない事実」と語り、その中で起きた面白い出来事を正面から語ることで、障害を特別なものとしてではなく、日常の一部として捉える視点を提示しています。

このようなスタイルは、単なるバリアフリーの枠を超え、芸人としての表現力と社会的なメッセージ性を両立させるものとなっています。笑いを通じて人と人との距離を縮める濱田さんの漫談は、芸の力を改めて感じさせてくれる存在です。

舞台での語り口とユーモアの工夫

濱田祐太郎さんの舞台では、視覚に頼らない表現が際立っています。見えないことを前提にした構成の中で、声のトーンや間の取り方、言葉の選び方に細やかな工夫が施されており、聴覚を通じて観客の想像力を引き出すスタイルが特徴です。

話し方は非常に明瞭で、滑舌がよく、早口でも言葉がしっかりと届くように調整されています。ネタの中では、あえて「見えないからこそ起こる勘違い」や「周囲とのすれ違い」をユーモラスに描き、観客の笑いを誘います。視覚情報がないからこそ、言葉のリズムや抑揚、間の妙が際立ち、耳で楽しむ芸としての完成度が高く評価されています。

また、舞台上での立ち位置や動きも、事前に綿密に確認されており、白杖を使った登場や立ち位置の調整など、視覚に頼らずに空間を把握する工夫がなされています。こうした準備と技術の積み重ねが、自然な舞台運びを可能にし、観客に違和感を与えることなく物語の世界に引き込んでいきます。

ユーモアの面では、自身の障害を笑いに変えるだけでなく、社会の中で感じた違和感や日常の小さな出来事を、誰もが共感できる形で語る力があります。笑いの中に温かさや気づきがあり、観客の心に残る舞台となっています。

家族との関係とプライベートの非公開性

濱田祐太郎さんは、芸人としての活動においては非常に誠実な姿勢を貫いていますが、家族構成や私生活についてはほとんど語られていません。公の場での発言やメディア出演においても、家族に関する具体的な情報は控えられており、プライベートを守る意識が強く感じられます。

中学生の頃に芸人になりたいという夢を両親に打ち明けた際には、最初は驚かれたものの、最終的には「好きにしたらいい」と背中を押してもらったというエピソードが知られています。このやり取りからは、家族が濱田さんの意思を尊重し、見守る姿勢を持っていたことがうかがえます。

また、視覚障害を抱えながらも進学や資格取得、芸人としての道を選んだ濱田さんの姿勢には、家族の支えがあったことが想像されますが、具体的なエピソードや関係性については本人が語ることはほとんどありません。芸人としての活動に集中するため、プライベートな情報は意図的に公開を控えていると考えられます。

近年では、芸能活動のペースを調整しながら、講演や執筆などの活動にも取り組んでいますが、そこでも私生活に関する話題は避けられており、あくまで芸人としての立場を軸にした発信が中心です。こうした姿勢は、芸人としての表現に集中するための選択であり、濱田さんの誠実さとプロ意識の表れとも言えます。

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濱田祐太郎って何者?経歴と実績について

2013年デビューからの芸歴と活動拠点

濱田祐太郎さんは、吉本総合芸能学院(NSC)大阪校を卒業後、2013年に漫談家としてデビューしました。視覚障害を抱えながらも、舞台に立ち続ける姿勢は多くの人に印象を残し、芸人としての第一歩を踏み出します。

デビュー当初は、大阪を拠点に活動を展開し、よしもと漫才劇場などの若手芸人が出演するライブに定期的に登場していました。月に数回の出演を重ねながら、観客の反応を肌で感じ、ネタの完成度を高めていきます。劇場での経験は、濱田さんにとって芸人としての基礎を築く大切な時間となりました。

2017年には「NHK新人お笑い大賞」の決勝に進出し、テレビ番組への出演も増えていきます。翌2018年には「R-1ぐらんぷり」で優勝を果たし、一気に全国的な知名度を獲得しました。この快挙は、視覚障害のある芸人として初の優勝であり、多くの人々に勇気と希望を与える出来事となりました。

その後も大阪を中心に活動を続けながら、テレビやラジオ、講演活動などにも幅広く取り組んでいます。劇場でのライブ出演は現在も継続しており、観客との距離が近い空間で、濱田さんならではの語り口を届けています。

また、YouTubeやSNSなどのオンラインメディアでも発信を行っており、舞台とは異なる形で自身の言葉を届ける場を広げています。大阪という地域に根ざした活動を続けながら、全国に向けて笑いとメッセージを届ける姿勢が、濱田さんの芸歴を支えています。

2018年『R-1ぐらんぷり』優勝の意義

濱田祐太郎さんは2018年、ピン芸人日本一を決める「R-1ぐらんぷり」で優勝を果たしました。この大会には過去最多となる3,795人がエントリーしており、その頂点に立った濱田さんの快挙は、芸人としてだけでなく社会的にも大きな意味を持つ出来事となりました。

決勝戦では、盲学校でのエピソードや日常の出来事を題材にした漫談を披露し、審査員票と視聴者票を合わせて最多得票を獲得しました。ネタの中では、「札幌ドームにプロ野球を見に行く」という修学旅行の話や、「車を運転したことある?」と聞かれたエピソードなど、視覚障害者ならではの体験をユーモアに変えて語り、会場を笑いに包みました。

この優勝は、視覚障害のある芸人として初の快挙であり、障害の有無にかかわらず芸の力で評価される場があることを示す象徴的な出来事でした。濱田さん自身も「アマチュアの頃から出場していた大会で、いつか優勝したかった」と語っており、長年の努力が実を結んだ瞬間でもありました。

優勝後には、特番やメディア出演が相次ぎ、漫談家としての存在感が一気に高まりました。また、視覚障害者が芸能の世界で活躍する姿が広く知られるようになり、バリアフリーや多様性の観点からも注目されるようになります。濱田さんの優勝は、芸人としての実力を証明すると同時に、社会に新たな視点をもたらす出来事となりました。

NHK新人お笑い大賞決勝進出の経験

濱田祐太郎さんは2018年、NHK新人お笑い大賞に出場し、決勝進出を果たしました。この大会は若手芸人の登竜門として知られ、全国から選ばれた実力派が集う場です。濱田さんは、視覚障害を抱えながらも、独自の語り口と構成力で審査員や観客の心をつかみ、決勝の舞台に立ちました。

決勝では、盲学校での修学旅行や日常のやり取りを題材にした漫談を披露し、笑いの中に温かさと気づきを織り交ぜたネタが高く評価されました。視覚に頼らず、言葉と声だけで情景を描き出す濱田さんの話芸は、漫談というジャンルの可能性を広げるものとして注目されました。

この大会への出場は、濱田さんにとって芸人としての実力を示す機会であると同時に、テレビやラジオなどメディアへの出演の幅を広げるきっかけにもなりました。R-1ぐらんぷりでの優勝と並び、2018年は濱田さんの芸歴の中でも大きな転機となる年となっています。

また、NHKという公共放送の舞台でネタを披露したことは、幅広い世代の視聴者に濱田さんの存在を知ってもらう機会にもなりました。障害の有無にかかわらず、芸の力で評価される場に立ち続ける姿勢が、多くの人に印象を残しています。

国家資格を活かしたマッサージ師としての一面

濱田祐太郎さんは、芸人としての活動と並行して、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を保持しています。この資格は、厚生労働省が認定する医療系の国家資格であり、視覚障害者が取得できる代表的な専門職のひとつです。資格を取得するには、指定の養成施設で3年以上にわたって解剖学や生理学、東洋医学などの専門知識を学び、実技を重ねたうえで国家試験に合格する必要があります。

濱田さんは高校時代にこの資格取得を目指し、視覚支援学校で学びながら技術を磨いてきました。あん摩・マッサージ・指圧の手技は、筋肉の緊張をほぐし、血行を促進し、身体の機能回復を助けることを目的としています。視覚に頼らず、手の感覚を研ぎ澄ませて施術を行うため、視覚障害者にとって適性の高い職業とされています。

この資格を持っていることは、芸人としての活動が不安定な時期にも生活の基盤を支える手段となり、精神的な安心感にもつながっています。また、身体に関する知識を持っていることは、舞台での体の使い方や健康管理にも役立っており、芸人としての活動にも良い影響を与えています。

濱田さんは、芸人という表現の場と、国家資格を活かした実務的なスキルの両方を持ち合わせており、どちらの道にも真摯に向き合う姿勢がうかがえます。多様な生き方が求められる現代において、こうした二つの軸を持つ生き方は、多くの人にとっても参考になるものです。

初の著書『迷ったら笑っといてください』の内容

濱田祐太郎さんの初の著書『迷ったら笑っといてください』は、2025年に太田出版から刊行されたエッセイ集です。盲目の芸人として歩んできた12年間の芸人人生を振り返りながら、舞台裏の葛藤や日常の気づき、芸に対する思いを率直に綴っています。

本書では、子どもの頃に憧れたテレビの世界に障害者の姿が見当たらなかったこと、バラエティ番組で活躍する芸人になることを夢見た経緯、そして「どれだけ頑張っても無理なのかもしれない」と「俺は面白いはずや」の間で揺れ続けた心情が語られています。実話漫談にこだわる理由や、賞レースの予選で感じた不安、初の冠番組で得た手応えなど、濱田さんにしか語れない視点が随所に盛り込まれています。

また、“いじり”という芸人文化に対する考え方や、テレビ界における“多様性”への疑問など、社会的なテーマにも触れながら、自身の立場を通して見えてきた景色を言葉にしています。濱田さんは「俺はあくまで芸人」と語り、社会的なメッセージを前面に出すのではなく、あくまで笑いを通じて人と人との距離を縮めることを大切にしています。

本書のタイトルにも込められているように、「迷ったら笑っといてください」という言葉には、濱田さん自身が不安や迷いの中でも笑いを選び続けてきた姿勢が表れています。読者にとっても、日常の中で立ち止まったときに、少し肩の力を抜いて笑ってみようと思えるような、温かさと誠実さがにじむ一冊です。

ユニバーサル社会推進大使としての取り組み

濱田祐太郎さんは2019年、兵庫県から「ひょうごユニバーサル大使」に任命されました。この役割は、障害の有無にかかわらず誰もが暮らしやすい社会を目指す「ユニバーサル社会」の理念を広めるための啓発活動を担うものです。濱田さんは自身の経験をもとに、講演やイベント、ラジオ番組などを通じて、共生の大切さを伝える活動を続けています。

代表的な取り組みのひとつに、ラジオ関西で放送された「濱田祐太郎のひょうごユニバーサル通信」があります。この番組では、障害者スポーツやアート、就労支援などをテーマに、県内の取り組みを紹介しながら、ゲストとの対話を通じてユニバーサル社会の実現に向けた考えを発信してきました。濱田さんの語り口は親しみやすく、障害に対する理解を深めるきっかけとして、多くのリスナーに支持されました。

また、兵庫県が推進する「声かけ運動」や「ヘルプマークの普及啓発」、「ゆずりあい駐車場」の取り組みにも協力し、イベントや広報活動に参加しています。視覚障害者としての立場から、日常生活で感じる困難や工夫を伝えることで、制度や環境づくりの重要性を具体的に示しています。

濱田さんは、芸人としての表現力を活かしながら、社会的なメッセージを押しつけるのではなく、笑いや会話を通じて自然に伝えるスタイルを貫いています。障害者と健常者がともに暮らす社会のあり方を、身近な言葉で語る姿勢は、多くの人に共感を呼び、ユニバーサル社会の理念を広げる力となっています。

SNSやYouTubeでの発信活動

濱田祐太郎さんは、舞台やテレビだけでなく、YouTubeやSNSを通じた発信にも積極的に取り組んでいます。自身のYouTubeチャンネル「濱田祐太郎 Official」では、舞台裏のエピソードや日常の出来事、視覚障害に関する話題などを、独自の語り口で紹介しています。登録者数は2万人を超え、動画本数も700本以上にのぼります。

チャンネルでは、R-1ぐらんぷり優勝後の心境や、吉本新喜劇への出演エピソード、視覚障害者としての生活の工夫など、濱田さんならではの視点が詰まった内容が多く投稿されています。例えば、「目が見えない人はどうやって台本を覚えるのか」といったテーマでは、実際の方法や感じている課題を率直に語り、視聴者の理解を深めています。

また、テレビ番組出演の裏話や、他の芸人との交流、時事ネタへのコメントなども取り上げており、芸人としての一面と、社会に対するまなざしの両方が感じられる構成になっています。視覚障害に関する情報発信も丁寧に行われており、障害に対する偏見や誤解を和らげるきっかけにもなっています。

SNSでは、X(旧Twitter)を中心に日々の出来事や出演情報を発信しており、フォロワーとのやり取りも活発です。言葉の選び方にはユーモアと誠実さがあり、濱田さんの人柄がにじむ投稿が多く見られます。

こうした発信活動は、濱田さんの芸人としての活動を補完するだけでなく、視覚障害者としてのリアルな声を社会に届ける手段としても機能しています。メディアでは伝えきれない細やかな思いや日常の工夫が、動画や投稿を通じて伝わり、多くの人にとって新たな気づきとなっています。

現在の活動と今後の展望

濱田祐太郎さんは現在も、漫談家としての舞台出演を中心に、テレビ、ラジオ、講演、執筆など多方面で活動を続けています。2025年には、なんばグランド花月で上演された新喜劇「盲目のお蕎麦剣士が巻き起こす新喜劇」に主演し、殺陣にも挑戦するなど、これまでにない表現の幅を見せました。この舞台は大盛況となり、翌年の再演も決定しています。

また、週刊プレイボーイでは連載コラム「死角からの一撃」がスタートし、芸人としての視点から日常や社会を切り取った文章を発信しています。コント番組の楽しみ方や、日々の出来事をユーモアを交えて綴る内容は、読者からも好評を得ています。

講演活動にも力を入れており、視覚障害者としての経験や、芸人としての歩みを語る場を通じて、共生社会の大切さや多様性の意義を伝えています。特に若い世代や教育現場での講演では、笑いを交えながらも深いメッセージを届けるスタイルが支持されています。

さらに、2025年には初の著書『迷ったら笑っといてください』を出版し、芸人としての思いや社会へのまなざしを文章で表現する新たな一歩を踏み出しました。この本では、テレビや舞台では語りきれない内面や葛藤も率直に綴られており、読者にとっても濱田さんの人柄に触れる貴重な機会となっています。

今後は、再演予定の新喜劇での現代劇への挑戦や、執筆活動の継続など、表現の幅をさらに広げていくことが期待されています。芸人としての軸をぶらさずに、社会との接点を柔軟に広げていく姿勢は、これからの活動にも大きな注目が集まっています。

濱田祐太郎の何者?経歴から見える人物像

  • 兵庫県神戸市須磨区で生まれ育った盲目の芸人
  • 幼少期から視覚障害と向き合いながら生活してきた
  • 小学生時代にテレビのお笑いに強く惹かれた
  • 中学生の頃に芸人になる夢を抱き始めた
  • 視覚支援学校で国家資格を取得し将来に備えた
  • NSC大阪校35期生として2012年に入学した
  • 同期にはゆりやんレトリィバァなどが在籍していた
  • 視覚障害を活かした独自の漫談スタイルを確立した
  • 舞台では声と間を駆使した聴覚中心の表現を追求した
  • 家族や私生活については情報を控え誠実な姿勢を貫いた
  • 2013年にデビューし大阪を拠点に活動を開始した
  • 2018年にR-1ぐらんぷりで優勝し全国的に注目された
  • NHK新人お笑い大賞でも決勝進出を果たした
  • あん摩マッサージ指圧師としての資格も保持している
  • 初の著書で芸人としての思いや人生を綴った
  • ユニバーサル社会推進大使として啓発活動にも参加している
  • YouTubeやSNSで日常や視覚障害の情報を発信している
  • 舞台や執筆など多方面で表現の幅を広げ続けている




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